[懐かし名車] ホンダ シティ(初代):自由な発想から生まれたニューウェーブの魅力
バイクもラインナップするホンダならではの、積載バイク「モトコンポ」の同時開発もユニークな発想だったが、じつは逆風も…
「機構最小、機能最大」というそのコンセプトは、今日のホンダ車も掲げるMM思想=マン・マキシマム、メカ・ミニマムそのもの。さらに、そうして稼いだ荷室にぴったりと収まる折り畳み式の原付バイク、モトコンポも同時開発。2輪、4輪をともに手がけるメーカーならではの商品企画だった。 ホンダらしいユニークな商品企画、とはいっても、当時のホンダはすでにれっきとした大企業の仲間入りをしていた。馬鹿者役の創業社長はとうに引退しており、意思決定をつかさどる経営幹部たちはもはや若くはない。当然のように、常識はずれのプロポーションを持つシティのデザイン案には、当初は反対意見も強かった。
クルマもユニークだったが、決定的だったのが「マッドネス」を起用したCM。基本性能の高さも相まって高人気を博した
しかし、若き開発者たちは自らが生み出した新しい乗り物の可能性を信じ、難色を示す上層部を説得し続けて、ついにOKを引き出す。 その新しさにワクワクして勢いづいたのは、開発メンバーだけではなかった。宣伝・販促部門の若者たちも面白がってアイデアを出し、かつてない手法に挑む。英国の無名スカバンド「マッドネス」のメンバーがムカデのように連なって踊りながら「♪ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ」と連呼するCMは、やはり難色を示す経営陣を押し切って作られ、子供たちはもちろん、サラリーマンの宴会芸としても定番になるほどの人気を呼んだのだ。 姿かたちや売り方がユニークだった一方で、シティはクルマとしての基本性能に関しても、専門家からの高い評価を得た。COMBAXと命名された新しいエンジンは、低燃費でありながら扱いやすく、良く回った。シャーシもきちんと作り込まれており、従来のこのクラスでは求められなかった快適な高速巡航が可能だった。ホンダはFF車第一作となった1967年のN360 が、高性能と裏腹に神経質な限界特性が災いして、欠陥車疑惑をかけられるという苦い経験をしている。その汚名をそそぐために、誰よりもFF車の操縦安定性の研究に力を入れた。その成果が、Nの14年後に出たシティには発揮されていたのだ。