展示刷新の平和記念資料館、現在の新たな役割 平和学習に加え語学や世界を学ぶ拠点としても
「恐ろしく悲惨な過去を、ともに学んだことを忘れない」
例えば、東京都の小平市にある白梅学園清修中高一貫部では、中学2年次に広島と京都での語学研修を行っている。5年前に行き先を変更するまでは、イギリスのロンドンまで出かけていたそうだ。副校長の鈴木邦夫氏は、その経緯を次のように語る。 「ロンドンでは2005年に大規模なテロがありましたが、その後も度重なる被害があり、学内外から安全性を懸念する声が上がるようになりました。また、イギリスまでは距離があるので渡航費用がかさみますし、時差も大きいため、学びに使える時間が限られてしまう。改善を考えていた折、国内にも非常に多くの外国人が集まる場所が増えてきました。こうした地域でなら、時代に即した新たな語学研修が可能なのではないかということになったのです」 生徒たちは、広島大学などに留学している外国人学生と交流しながら、外国人観光客が集まる平和記念公園や資料館を巡る。これは語学と歴史の双方を強く意識する機会になるだろう。ある生徒は、行動を共にしたバングラデシュ人の留学生から、別れ際にこんな手紙をもらったそうだ。 「恐ろしく悲惨な過去をともに学んだことを、この先もずっと決して忘れない」 この経験から、その生徒は国際関係を学べる大学に行きたいと進路を絞り始めた。鈴木氏は「唯一の被爆国として、日本が今後、世界にどう発信していくべきかを考えるようになったようです。ただ英語を習うだけでなく『語学を通じて何を知ったか』ということが、生徒たちの学びを非常に深いものにしていると感じています」と語る。 終戦から時間が経った今でも、平和記念資料館には熱心な若者が集まる。落葉氏は、探究学習や卒業論文などに取り組む国内の学生の相談に乗ることも多いそうだ。 「原爆投下から80年近くが経ち、自身の被爆体験を語れる人は少なくなっています。世間の関心が薄れることを危惧する声もありますが、少なくとも私が接する若い人たちは決して無関心ではありません。むしろ私の若い頃よりも熱心で、いつも感心しています。こうした人たちの熱意に向き合い、また遺品などを提供してくれた人たちの思いに応えるためにも、今後も資料館のあり方を考え続けたいと思っています」(落葉氏) 9月10日までは、企画展「ともだちの記憶」も開催中だ。12~15歳前後で命を落とした子どもたちの学校生活や8月6日のこと、さらに生存者が罪悪感に苛まれながら生きてきたことを、実際の遺品とともに展示している。 (文:鈴木絢子、注記のない写真:東洋経済education×ICT編集部)
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