【「五日物語 3つの王国と3人の女」評論】現代女性のリアルな欲望とぬかりなく共振し、その興味深さを映画の核心としてみせる
現在公開中のナンニ・モレッティ監督作「チネチッタで会いましょう」、はたまた新年に公開予定のアルノー・デプレシャン監督作「映画を愛する君へ」、いずれもその映画愛の芯に、映画館で見る映画の素敵を置いていて思わずうれしくさせてくれた。 その意味では(配信やソフトで親しんだ旧作を改めて)“映画館で見る”とまさに銘打った“12か月のシネマリレー”第二弾のラインナップを飾るこのマッテオ・ガローネ監督作「五日物語 3つの王国と3人の女」も、ビッグスクリーンでこそ見たいスケールを射抜いてまずは目を撃ち圧倒する。 といっても映画はCGI満載のハリウッド大作とは一線を画す気概に溢れていて、クリーチャーやエフェクトもみごとにアナログな感触を放り出す。デビッド・クローネンバーグとのコンビで知られるピーター・サシツキーの撮影も子豚のように育ったノミとか、森の中に全裸でたたずむ赤毛の美女とか、つるんと平板なデジタルの画では獲得できない美の質をその“視覚的肌触り”に差し出して、ここでもまた銀幕の肌理を通してこそ見たい映像のことを思わせずにはいない。 原作は“おとぎ話の父”とも称されグリム兄弟、シャルル・ペロー、アンデルセンの童話の原点ともみなされる17世紀ナポリの詩人ジャンバティスタ・バジーレがものした説話集。そこに収められた50(+全編のフレームとなる一話)の物語は元々、幼き者たちのためと名づけられていたという。けれども、それらは安全無害なお子様向き作品とはこれまた一線を画す血まみれ、残酷、生と性の怖さに満ちている。そんな原作から3作を取り出し映画化した自作についてガローネもジャンルでいえば「ホラーの要素をもつファンタジー」とお子ちゃま映画との違いを示唆している。 それにしても巨大犯罪組織の影響下にあるナポリの闇の深奥に分け入る実録小説をもとにした「ゴモラ」が強烈に印象深いガローネにとってファンタジー映画とはいかにも縁遠い領域ではと一瞬、とまどいを覚えたのも事実。だが、監督自身は「バジーレの寓話にある皮肉、ダークな側面、リアルと非リアルの混淆に自分のめざすものとの重なりを見出す。実際、『ゴモラ』にも寓話的な側面があった。ただそこでは現実、リアリティから幻想的、夢の次元への跳躍へという方向性があったのに対し、『五日物語』では逆の道筋、寓話、ファンタジーからリアルを抽出した」と述懐(Variety紙2014年5月15日)。 とりわけ3つの挿話が描く3人の女性のそれぞれにビザールな行路――子を持つこと、若さ、父権に抗して自立することへの執着が現代の女性のリアルな欲望とぬかりなく共振する点、その興味深さを映画の核心としてみせる。見逃せないのは英語で撮り、国際的スターをちりばめながらナポリっ子の監督がイタリアという自身の宇宙に映画を引き込んだと自負していることで、スタジオ(嘘)のように見える本物(リアル)の城、森、川に囲まれた人の居場所に注がれた眼差しはピエル・パオロ・パゾリーニにタヴィアーニ兄弟等々、つまりは寓話とリアルの狭間にある人を、世界を、鮮やかな景観としてみせた伊映画の先達たちとも通じていくようで、そのドメスティックの究め方も大いなる見どころといってみたい。 (川口敦子)