元日本代表・長谷川アーリアジャスール 18年の現役生活を振り返る ポポヴィッチ氏から学んだ極意
【蹴トピ】今季限りで現役引退を決断したJ3鳥取の元日本代表MF長谷川アーリアジャスール(36)。その愛されキャラの原点とは?「父親のような存在」と慕う、前鹿島監督のランコ・ポポヴィッチ氏(57)との特別な関係性とは?スポニチのインタビューに応じ、18年のプロ生活を振り返った。 (取材・構成 垣内 一之) 「鳥取での引退セレモニーだったり、相模原との最終戦にいろんな方が応援に来てくれたり、所属した各チームのサポーターからも凄く温かいコメントをもらえて、すがすがしい気持ちで引退できました。本当に皆さんには感謝しかないですね。18年間、頑張ってきて良かったなって」 11月7日の引退表明から約1カ月。想像をはるかに超えた反響に長谷川自身も驚きを隠せなかったようだ。 「もちろん、自分だけの責任ではないと思いますけど、加入1年目のチーム(C大阪)がJ2に降格して、その状況で移籍したら、やっぱり周りから嫌われるというか、いい思いはされないですよね?自分もそう思っていたし、どちらかというと嫌われていると思っていた。だからサッカーを通していろんな地域に行かせてもらって、最後にこんな形で終われて、“どれだけ幸せ者なんだよ”って思います」 ただ活躍の場を何度も変えたキャリアの中でも、大切にし続け、絶対に崩さなかったポリシーがあったという。 「父はコミュニケーション能力が高くて、誰からも好かれるキャラ。逆に母は日本人らしいというか、礼儀には厳しかった。その影響はあるかもしれないですが、ありのままの自分を相手にぶつけて、それをどう思ってくれたかで、人との付き合い、コミュニケーションが生まれると思う。そこは常に意識して、大事にしてきたつもりです。相手の目を見て話すとか、あいさつのメールを送ったりとか、そういう当たり前のことを当たり前にやってきた自負はある。それが巡り巡ってみんなに良く言ってもらえたのかな」 実直で飾らない性格。その愛されキャラはもちろん、華麗でダイナミックなプレーは、一人の指導者からも寵愛(ちょうあい)された。FC東京、C大阪、サラゴサ、町田と実に4チームに引っ張られたポポヴィッチ監督だ。 「こんなに毎回、呼んでくれる監督に巡り合えるなんて、めったにない。ちょっとネガティブな声もあると聞いていたけど、逆に“そんな素晴らしい関係性の人いますか?これは自分の大きな財産だよ”と思っていましたね」 最初に引っ張られたFC東京ではチームメートにも恵まれ、攻撃サッカーでJ1を席巻。長谷川自身も才能が一気に開花し、中心選手としてA代表にも上りつめた。 「めちゃくちゃ楽しかったですね。練習でやっていたことが、見事なまでに試合に出せていましたからね。ポポさんには“スタメンで出ようが、残り5分、10分だろうが、一流は与えられた場所と与えられた時間で結果を出す”とよく言われました。その言葉は響きましたね。だから、いろんなポジションができたと思うし、与えられた位置でチームのために何ができるかを常に考えてプレーしていた。人によっては器用貧乏って言うかもしれないけど、自分はそれが逆に武器だと思っていた。何を求められているかを理解していないと、試合には出られないですから。ポポさんにもそういった面も評価されていたと思います」 「リスペクトを持って人と接すること。当たり前のことを当たり前にやること。謙虚と感謝を忘れないこと。この3つは大切にしてきたし、サッカー人生を通して改めて学べたところ。それは選手生活を終えても変わらない。みんなが助けてくれたりとか、気にかけてくれたり、応援してくれたりするわけですから」 スパイクを脱いでも不変の愛されキャラ。「Jリーグに成長させてもらったという思いがあるから、そこに対しての恩返しはしたい」というアーリアの第二の人生も、きっと笑顔にあふれた、スリリングなアドベンチャーになるに違いない。 ▽アーリアフットボールパーク 鳥取に加入した23年からは、“実業家”としての顔を持つ。きっかけはFC東京時代に始めた「アーリアシート」。背番号の席分を自身で買い、招待した子供たちと試合後に触れ合う企画で、町田時代にはそれをさらにバージョンアップ。「一緒にサッカーやって、その子に“頑張れよ”とか、自分が小学生で経験した状況を再現したかった」とアーリアフットボールパーク第1弾を開催。半年間チームが決まらず、拾ってもらった鳥取では「地元の人にも恩返しがしたい」と第2弾を企画し、自身で協賛スポンサーへのあいさつ回り、ロケハンなどをこなす。今月26~29日には鳥取県の倉吉市、米子市、鳥取市と島根県の松江市の4カ所でフェスを開催予定だ。 ◇長谷川 アーリアジャスール(はせがわ)1988年(昭63)10月29日生まれ、埼玉県出身の36歳。父がイラン人で母は日本人。横浜の下部組織出身で、07年にトップ昇格し開幕戦先発デビュー。12年にFC東京に移籍し、活躍が認められ日本代表選出。その後はC大阪、スペイン2部サラゴサ、湘南、大宮、名古屋、町田(当時J2)でプレーし、23年にJ3鳥取に加入。J1通算251試合17得点、J2通算97試合14得点、J3通算36試合3得点。日本代表はU―15世代から各年代で選出。1メートル86、74キロ。利き足は右。