ヌード写真集、濡れ場…女性芸能人の「清純派からの卒業」はなぜ消えた? 井森美幸VS芦田愛菜の”争いも勃発中か…「清純派」ファンタジーの現在地
芸能界で生き残りをかけた熾烈な争いの影響
盛んに言われていたのは「ずっと清純派だと役の幅が広がらない。これからの役者人生を考えたら、一度卒業しないとダメだ」みたいな論調である。 一見、もっともらしく聞こえる意見である。確かに昔はその手の風潮もあったのだろう。 しかし現代の「清純派」イメージの人を見ると果たしてそうかなと思う。 綾瀬はるか、有村架純、新垣結衣といった人たちは「清純派」とカテゴライズしていい俳優さんだが、役の幅が狭まっているようなことはなく、さまざまなキャラクターを演じている。 出演する映画やドラマ自体もコメディ・アクション・恋愛・医療モノ……とジャンルもさまざまだし、役どころもワンパターンではない。 確かに大きくイメージを崩してしまうような役は少ないかもしれないが、別にそれで困ることはない。むしろ「清純派」イメージを守り続けている人たちは常に主演級であり、それを守っているからこそ主役が張れるともいえる。 つまり、今となっては、ただでさえ少数派になった「清純派」イメージの俳優さんが、わざわざそれを卒業するメリットがないということである。 もちろん今でも「体当たりの汚れ役」を機に抜擢される人もたくさんいる。ただそれは無名なところから一念発起してというパターンが多いように思う。 昔は清純派のイメージでデビューする人がワンサカいて、次から次へと新たな清純派が出てきた。そのため、芸能界の競争に生き残っていくためには、その席を降りて次のステージに行くしかなかったのである。
答えは50年後…「清純派」ファンタジーをストイックに守れる存在
そんな「清純派」の定義も「卒業」の必然性も大きく変わっている現代。若い世代で今後レジェンド級の「清純派」となっていきそうな女性俳優といえば、さきにのべた清純派の共通項にすべて当てはまっているであろう、芦田愛菜ではないだろうか。 今の彼女は「清純派」というよりは「優等生」に近いかもしれないが、将来にわたってそのイメージが崩れそうにないところがすごい。 現代は「清純派」のイメージを自ら卒業しなくても、簡単に崩れてしまう罠がいっぱいである。そんな中、あのイメージを守り続けられる芸能人はそう多くない。 芦田愛菜は、SNSもやっていないし、バラエティも「博士ちゃん」しかほぼ出ることはない。良好なイメージを元にCMはバンバンやっているが、女優としての作品はある程度厳選している。鉄壁のディフェンスである。 同じ子役出身でも、平成の子役・安達祐実は子供イメージ脱却のためグラビアをガンガンやったり、映画で汚れ役を演じたりと意識的に自ら崩していった感があるが、今のところ芦田愛菜はそういった方向には行く気配がない。 芦田愛菜には、貴重な「清純派」ファンタジーをストイックに守れる存在として、吉永小百合の高みを目指してもらいたいものである。 彼女が、70歳であってもキスシーンに恥じらうのか。答えは50年後である。 文/前川ヤスタカ 写真/shutterstock