ヌード写真集、濡れ場…女性芸能人の「清純派からの卒業」はなぜ消えた? 井森美幸VS芦田愛菜の”争いも勃発中か…「清純派」ファンタジーの現在地
卒業白書2024#6
永遠の清純派俳優・吉永小百合を筆頭に “清純派”と呼ばれる俳優はたくさんいる。しかし、それとセットのようについていた清純派「卒業」という言葉は聞かなくなった。いったいなぜなのか、その理由をテレビ番組に関する記事を多数執筆するライターの前川ヤスタカが分析する。 【画像】ファンタジーとしての「清純派」を守る業界
「もうどうにも止まらない」「後ろから前からどうぞ」卒業には驚きがあった
「清純派からの卒業」という言葉を聞かなくなってひさしい。 かつては「体当たりの艶技!」や「初の汚れ役!」、古くは「五社英雄監督作品!」「つかこうへい演出の舞台!」といったフレーズとともに清純派の殻を破っていた女性俳優やアイドルが多くいたが、近年とんと目にする機会が減った。 昭和から平成にかけては、さまざまな「清純派からの卒業」パターンがあった。 映画などで濡れ場を披露するケースや、ヌード写真集を出すみたいなケースは、ある種卒業手法の定番であったが、それでも「あの朝ドラ女優が!」とか「あのアイドルが!」とかいうギャップに毎回新鮮に驚いたものである。 デビュー時はお人形さんのような衣装で「こまっちゃうな、デートに誘われて♪」と歌っていた山本リンダが、しばらく経ったら「もうどうにもとまらない♪」とクネクネ踊るようになったのも一つの「清純派からの卒業」だったかもしれない。 そういった意味では、平尾昌晃とのデュエット曲「カナダからの手紙」で「あなたのことを思い出して、カナダの夕陽見つめて♪」いた畑中葉子が、その後「後ろから前からどうぞ♪」と歌い出したのもそうだ。 たとえが少し古いかもしれないが、とにかく昔は「清純派」というのは「卒業」とセットだったのである。 しかし時代はアップデートしてきている。 そもそも「清純派」という言葉自体が、女性に清廉さと純粋さを求める男性目線の勝手なイメージである。それを女性に求め続けること自体が令和の世の中では時代遅れになっているのだから、その卒業もなくなるのは、まあ必然であろう。 では、もう「清純派からの卒業」は見られないのであろうか。