「悲劇を映画化した『ソウルの春』は人々に多くを考えさせる未来の話」キム・ソンス監督が抱き続けた“疑問”と作品への思い
韓国映画のポリティカル・サスペンスの歴史を塗り替えた『ソウルの春』。観客動員1300万人以上という数字はもちろん、肌が粟立つようなスリリングな展開と骨太なアプローチ、そして観客の胸に深く刺さるメッセージ性は、史実を基にした作品の中でも屈指の出来栄えだ。 【写真を見る】45年前に“ソウルの春”を経験したキム・ソンス監督にインタビュー ■「脚色で重要視したのは“悪の存在”を美化しないこと」 1979年10月26日、独裁者と言われた韓国大統領が側近に暗殺される。韓国国内に衝撃が走ると同時に、民主化“ソウルの春”を期待する国民の声が高まりつつあった。暗殺事件の合同捜査本部長には、チョン・ドゥグァン保安司令官(ファン・ジョンミン)が就任する。しかし、チョン・ドゥグァンが配下の者を使い捜査で拷問をしていること、彼の強い権力欲に危機感を覚えたチョン・サンホ陸軍参謀総⻑(イ・ソンミン)は、正義漢の強い軍人イ・テシン(チョン・ウソン)を牽制役として首都警備司令官に任命。処遇に不満を募らせたチョン・ドゥグァンは、陸軍内の秘密組織「ハナ会」を率いてクーデターを決行し、参謀総長は将校たちに力ずくで連行されてしまった。部下の中にハナ会のメンバーが潜む圧倒的不利な状況に置かれながらも、イ・テシンは信念に突き動かされて立ち向かって行く。 前作『アシュラ』(16)で韓国映画が得意とするバイオレンスやノワールジャンルをさらなる極北へ導いたキム・ソンス監督が次回作のテーマに選んだのは、朴正熙大統領暗殺後の12月12日に起きた、のちに大統領となる全斗煥保安司令官による粛軍クーデターだった。ドラマ「第5共和国」のように、この事件をモチーフにしたドラマはこれまでも存在するが、映画化に至ったのは『ソウルの春』が初めてだ。 粛軍クーデターを初めて映画化するプロジェクトを任せられたキム・ソンス監督は、ハイブメディアコープの代表キム・ウォングクプロデューサーから渡されたシナリオをこう振り返った。 「最初にもらったシナリオが事実に基づいて完成度もとても高かったので、私が書き加えた部分はそんなに多くないんです。ただ、この映画は“悪の誕生譚”です。そのまま撮れば、まるで彼らの勝利を美化し正当化することになるのでは…と危惧しました。そこでこの映画の中において、観客の視点となる善良な人物イ・テシンのキャラクターに重要性と親しみやすさを持たせようと、妻との会話など人間的な面を付け加えました。また『ソウルの春』に登場する多くの人々が、あの日、チョン・ドゥグァンとイ・テシンの間でどのように心が揺れ、状況にどう反応し、集散したかという多様な人間模様を描くことで群像の姿をもう少し浮き彫りにしました」。 ■「ファン・ジョンミンが快諾した瞬間、映画がスタートした」 人間の野望と信念が交差する群像劇として優れた完成度を誇る本作。また一方でキム・ソンス監督は、クーデターを先導した「貪欲なる王」と、彼に最後まで立ち向かった「真の兵士」の姿を思い描き、二人の軍人を中心に据えてパワフルな物語を編み上げた。「貪欲なる王」、チョン・ドゥグァン保安司令官を演じたファン・ジョンミンについては、シナリオの序盤段階からプロデューサーともどもキャスティングを熱望していた。監督とは親しい仲ではあるものの、本人がチョン・ドゥグァンというキャラクターをどう思うか不安だったそうだ。 「でも、第一声は『私がやります』でした。自分はこの役割を本当に上手く演じたい、このキャラクターはとても有名だが、観客から『あのキャラクターを完璧に演じたのはファン・ジョンミンしかいない』と言われたいと仰ったんです。そのくらい役に対して貪欲で、情熱あふれる俳優なんです」。 もちろん監督はファン・ジョンミンの演技に大満足だった。一方で、役者としての深い葛藤もにじみ出ている撮影秘話も教えてくれた。 「映画が大ヒットしたあと『この映画は、あなたがチョン・ドゥグァンを演じてくださると言った瞬間に始まったんですよ。どうしてそんなに勇気を出してくださったんですか?』と聞いたら、ささやくような小声で『監督…私が悩まなかったですって?自信もなかったし、これを私が演じてもいいのだろうかとすごく悩んだんですよ!とうとうやると決めて、勇気を出して監督に会い、やりますとすぐに言っただけですよ。心の中では躊躇ばかりだったんです』と仰ってましたね」。 ■「慎重で注意深いチョン・ウソンの姿がイ・テシン役にぴったりだった」 そしてもう一人、「真の兵士」イ・テシン役には、『太陽はない』から深い絆で結ばれているチョン・ウソン。欲がなく、軍人という任務に誇りを持つ高潔な人物を演じるにあたり、二人は率直に意見を交わしたという。 「もともとプロデューサーが私にくれたシナリオでは、イ・テシンにあたる人物はすごく勇気があってマッチョというか、エネルギーあふれるキャラクターだったんです。私たちは仲が良いので、シナリオが届くとチョン・ウソンさんに読んでもらって、レビューを聞くんですよね。まだその時はキャスティングの段階ではなかったんですが『まあ、そうなんだ…』というような反応でした。のちにイ・テシンという名前も与えて、感情のコントロールができる落ち着いた性格にしてシナリオを渡した時も『キャラクターが変わりすぎていますが大丈夫?』と少し疑問を示しました」。 当初は関心がなさそうだったチョン・ウソンだが、キム・ソンス監督はどうしても彼にイ・テシンを演じてもらいたかった。理由は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使だった時の佇まいだった。 「難民問題を話す何年か前のインタビュー映像をチョン・ウソンさんへ送って、『とても慎重で注意深く話す姿が本当に良いので、あなたのこの姿をイ・テシンのキャラクターとして使いたい』と言いました。チョン・ウソンさんは『ある人物を演じるということは、俳優自らそのキャラクターに入る旅行のようなものなのに、私自身を参考にして作るなんて話になりませんよ!』なんて言っていましたが(笑)。本当に昔からの友人なので彼をよく観察していた記憶があって、そういった個性をイ・テシンに反映したかったんです。でも、チョン・ウソンさんにとってはそんなに簡単な作業ではなかったみたいで、一番大変だったと話していましたね」。 ■「国家権力とは国民のもの。権力者に決して奪われてはならない」 粛軍クーデターの夜。当時19歳だった監督は、20 分以上にわたる銃声を、いみじくも陸軍参謀総⻑の公邸があった漢南洞で聞いていた。インタビューの終盤でキム・ソンス監督は、噛みしめるように「ソウルの春はとても大きな悲劇でした」と口にし、こう続けた。 「韓国にとっても、私の世代にとっても本当に大きな悲劇だったんです。そのせいで、20代はずっと不信感ばかり募らせていましたし、毎日学校の中でも外でも(デモ鎮圧の)催涙弾の煙を浴びて、当時の軍事政府に本当に腹を立てながら学生時代を過ごしていました。その時代を語るというのは、私にとってある意味苦しい記憶を呼び覚ますような感じです。でも考えてみると、私たちが経験したそのような時代はむしろ“二度とこのようなことがあってはならない”という非常に大きな警告だったんじゃないでしょうか。国家権力というのは国民のものだから、再び私たちから権力者に奪われてはならないと強く考えるようになりました。なにか悪いことが起こったあと、なにか良いことに気付くようにですね。だからこそ『ソウルの春』を必ず完成させて、この話を知らない若い観客たちに見せようと決心したんです」。 そんなキム・ソンス監督には、一つ疑問があった。監督は1961年生まれであるのに対し、キム・ウォングクプロデューサーはずっと年下だ。粛軍クーデターを経験していない世代の彼がなぜ、『ソウルの春』を作ろうと思ったか。 「私が質問すると『監督、これは過去の事件ではありません。過去として寝かせておく話ではなく、人々に多くを考えさせる未来の話だと思います』というように言ったんです。感動すると同時に、粛軍クーデターについて私がかつて抱いた考えを表現できずにいるのに、10歳も年下のプロデューサーがこんなすばらしいことを思っていると知って、なんで私はできなかったのかと反省しました。私の後輩の世代の製作者がそう考えているなら、当時を知る私が勇気を出してこの話をしなければならないのは当然なんです」。 「10.26(朴正熙大統領暗殺事件)」 を題材にした『KCIA 南山の部長たち』(20)、「5.18(光州事件)」を取り上げた『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』(17)のように、韓国現代史の運命を変えた事件のいくつかはたびたび映画化され、日本でもよく知られているが、粛軍クーデターという韓国現代史の傷を初めて目の当たりにする日本の観客も多いだろう。「韓国でも日本でも、観客の皆さんへ『この映画をこんなふうに観てほしい』とは言いたくないんです。私も映画が始まったらただ観たいように観ますしね」と前置きしながらも、どうしても伝えたいことがあった。キム・ソンス監督は、凍てつく12月の夜中に響き渡る銃声を聞いて以来ずっと胸に抱き続けてきた「宿題」の答えを、この映画に託したという。監督のその“答え”が、最後の言葉にあるような気がした。 「45年も昔の粛軍クーデターはある意味、現在の韓国や日本の観客の方々とはなんの関係もないことですよね。しかし、韓国でこのような事件が起きて軍事政権が発足し、民衆たちはこんなこと二度とあってはならないと感じた。それが80年代民主化運動の起爆剤となり、90年代には韓国社会の政治の地形図も変え、システムを変える非常に重要なきっかけになったんです。現在の韓国社会を理解するうえで『ソウルの春』をご覧になったら、『最初に誰かがあの石を投げたから湖に大きな波紋を起こしたんだ。だから韓国社会はこう変わったんだな』と考えていただけるのではないでしょうか。映画監督としては、これ以上望むことはありません」。 取材・文/荒井 南