【後編】元神戸MF和田倫季、アジア6か国歴戦のキャリア モルディブでは船で練習に…「本当は1か国でプレー続けたい」
今季シンガポール1部・タンジョン・パガー・ユナイテッドFCに加入したMF和田倫季(29)。アジアで計6か国目でのプレーとなる。そのキャリアは波乱万丈だが、中でも目を引くのが昨季経験したモルディブでのプレーだ。インドネシア1部のTIRAペルシカボを突然退団することになり、オーストラリアでのプレーを経て、23年に新天地として選んだのがモルディブ1部・マジヤだった。 「韓国やインドからの話もあったのですが、うまくまとまらなくて。その中でオファーが来たので、モルディブについて全く知らなかったんですけど、行ってみようと」 1000以上の島から成り、観光業が盛んなモルディブ共和国。居住地となった島は、端から端まで歩いても約30分ほどの広さ。全チームが1つのスタジアムで試合を行っていた。練習場も人工芝2面を全クラブが共有し、同時間帯にピッチの逆サイドでは別のチームが練習している、といった環境だった。 「僕のチームはモルディブ代表が14人、外国人選手が6人で、リーグでは一番強いチームでした。リーグでは7、8点取って勝つのが当たり前。AFCカップ(アジアの国際大会)に参加できる、というのが行った理由だったんですけど、そこでは難しかったですね。やはりレベル差はあって、守備の時間帯ばかりで、プレーは難しかったですね。(技術が特徴の自分は)必要ないなって」 さらに生活面では、これまで経験したことのない難しさもあった。「日本の食材がまったくなくて、お米もないし、鶏肉なども冷凍しか売っていない。僕は自炊していましたけど、日本食は作れないので困りました。カレーを作ったり、冷凍のサーモンをいためて食べたり。僕の居住地は現地の人々が多かったので、観光客はたまに見かけるぐらい。僕は観光にはあまり興味がないので、基本どこにも行かず。ビーチも一日で飽きるし、することがなかったですね」。華やかな観光地とはかけ離れ、現地での生活は地味そのものだった。 AFCカップに向け、島と島の間を船で移動し練習場に向かうなど、ここでしか味わえない経験は多かった。しかしリーグの組織自体が不安定で、突然試合が延期になることもあり、3週間で試合が1度のことも。結局リーグ戦は4試合のみだった。そして今年、シンガポールのタンジョンバガー・ユナイテッドに新天地を求めた。神戸時代から数え、計11クラブ目となる。 「僕は本当は、1か国でプレーし続けたいんですよ。(同じ国、チームに)居続けられるように、と思っているんです。モルディブに行ってから、今まで以上に意識が高くなったんです。練習の励み方とか、まだまだ足りていなかったなと。(別の)仕事をしながらやっていた時期もあって、練習も100パーセントでやらなくてもできている時期もあった。個人として、このまま転々とするのも、経験してはいいのかもいれないですけど、1チームに居続ける難しさも感じています」。決して経験を積むためだけに、プレーしているのではない。 自らが外国籍選手として海外でプレーを積む中で、Jリーグ時代に共にプレーした“助っ人選手”の偉大さを、感じる瞬間が多いという。神戸時代には、チームメートに日本の計8クラブで活躍し、Jリーグの外国籍選手最多得点記録(152得点)を持つFWマルキーニョスがいた。 「マルキは毎日、『気持ち、強く持って!』とか声をかけてくれていたんです。若手の僕を、めっちゃ心配してくれていた。自分が外国人選手の立場になって、こんなに孤独なんや、とも感じました。だから活躍していた外国人選手のすごいなと。その中でも同じチームに位置づけている選手は、本当にすごいなと」 少しでも高いレベルを目指し、各国を転々としてきたが、今はシンガポールで活躍することが目標。韓国・仁川でプレーした際、同国の強豪・蔚山戦にフル出場した際に感じた「これほど成長できるんや」という感覚は今でも忘れられないといい、レベルの高い試合を追い求めている。サッカー選手として、高みを目指すための原点に立ち返り、新たなシーズンに挑む。
報知新聞社