記録と教訓 – コザ暴動が残した問い
そして軍が取り組んだのは「プロジェクト・ランタン」という人間関係を改善するプロジェクトでした。このプロジェクトは、軍関係者と地元沖縄の人々との関係を深めることを目的としたもので、ホーンさんは、暴動後すぐにメンバーとして携わる事になります。 ジェイ・ホーンさん 「振り返ってみると、軍がもっと早い段階で取り組むべきだったのは、私が関わっていたような人間関係の改善プロジェクトだったと思います。ああいった取り組みが、もっと大きな効果をもたらしたのではないかと感じています」 一方で、高嶺さんは、暴動が沖縄の返還や地域社会に与えた影響について、次のように述べています。 高嶺さん「1969年にはもう沖縄返還の方向性決まってますからね。1970年の暴動というのは必ずしも沖縄返還に影響を与えたわけではない…暴力で対抗するというのはかえって地域共同体を壊してしまうからコザ暴動はやむにやまれないっていうようなのもあったし、それと復帰に向かって米軍支配と日本の支配のですね、ちょうど谷間に起こった事件ですよね」 暴動が沖縄の社会やアメリカ軍との関係にどのような影響を与えたのか、そしてその教訓を私たちはどう活かしていくべきなのでしょうか。 ジュリア記者「コザ暴動は過去の出来事にとどまらず、今の課題とも深く結びついています。沖縄とアメリカ軍の間に存在する壁をどう取り除いていくべきか、そのヒントを探ります。イリングスさんは、暴動以降、軍が関係改善に努力してきた点に希望を見出しています。一方でホーン夫妻は、沖縄に駐留する軍関係者が直接交流の場を通じて相互理解を深める重要性を強調しています。そして、高嶺さんは、沖縄が培ってきた平和的な対話の力をこう語ります」
高嶺さん「沖縄ができることは限られてるし、また素晴らしい歴史もあるし、平和的に説得する技術も身につけてきたわけだからそんなに悲観的なことばかりでもないんじゃ思います。自分たちが何ができるかっていうところを振り返ると、まあいいかなとあまり無理しないで。「よんなーよんなー」と言って。ゆっくりゆっくりって。よく言う壁の向こう側の人とも話し合うという。それをまた自分たちの力にするという事も大切だと思います」 ジュリア記者「今回の取材で特に印象的だったのは、取材対象者たちが共通して語った「相互理解」の重要性です。ホーン夫妻のように異文化間で歩み寄る姿勢や、高嶺さんが語る平和的な対話の力が、今後の未来に向けた重要な指針になると感じました」 ここまで、メカラー・クラフト・ジュリア記者と共にお伝えしました。
記録と教訓 - コザ暴動が残した問い