明太子のふくやの原点はアイスキャンディー 昭和20年代の味を孫が復活販売
「1本ちょーだい」「はいよ」――ある男が作ったアイスキャンディーからは、こんな会話と笑顔が生まれたのではないだろうか。 戦後間もない昭和20年代初め、かつて福岡の中心部にあった天神町市場(現在は福岡銀行本店)の一角で、川原俊夫(1913-80)さんは、どうにか手に入れた材料でアイスキャンディーを作って売っていた。それは明太子の老舗「ふくや」(福岡市博多区)の前身である「アルプス」という屋号の小さな店だった。 「当時の味は、甘味料と水をただ凍らせた甘いだけのものと、缶入り練乳で味付けしたミルク味の2種類。戦後、甘い物がほとんど流通していなかった時代、喜ばれたのではないかな」と話すのは、俊夫さんの孫で5代目社長の川原武浩(45)さんだ。
福岡名物、明太子
ふくやは昭和23(1948)年、福岡市博多区中洲で創業。俊夫さんは大正2(1913)年、韓国・釜山で生まれた。幼い頃から食べていた朝鮮の明太子「明卵漬(ミョンナンジョ)」が忘れられず、戦後引き揚げた博多で日本人好みに味付けして販売してみようと思いついた。 試行錯誤を重ねて創業の翌年、ようやくオリジナル明太子の販売にこぎつけた。ところが苦労して編み出した製造方法を、俊夫さんは製造特許を取らずに同業者に作り方を教えてしまったという。その気前の良さが「明太子=福岡土産を代表する食品」に押し上げた要因なのだ。
ふくやの原点はアイスキャンディーだった
アルプスでアイスキャンデーを売っていたのは、ふくや創業の1、2年前。当時、俊夫さんにアイスキャンディーの作り方を教わっていた人がいたと聞き、武浩さんはひらめいた。 「ふくやの原点はアイスキャンディー屋さんだったのか。これは面白い」と商品化を熱望。当時の味をどう今に再現しようか、4~5年間いろいろ考えては試作を重ねた。そしてようやく今年5月に創業70周年記念商品として「ふくや創業前夜の味」と銘打った「アルプスアイスキャンデー」を復活商品化させた。 「必死に作った明太子も『まあいいやないか』と気軽に人に作り方を教えてしまう。アイスキャンディーも教えていたと聞いて、本当にじいちゃんらしいな」と笑う。 俊夫さんは、武浩さんが小学3年生のときにこの世を去った。 「市場で買った魚をミンチにして作った団子を入れた“だご汁”とか、いろいろなものを自分で作る人だった。カルメラ焼きの作り方を習った覚えもある」と振り返る。食材が豊富ではない当時、今ある材料を工夫することが重要だったのだろう。 釜山で生まれて、就職したのは満州。その後、戦争で沖縄に渡る。 「いろんな文化を持っていた人だから、新しいものに対して抵抗感がなく、食に関しては非常に垣根がない人だったと思う。だって明太子は当時、周囲に気持ち悪がられていた食べ物でしたから」