《ブラジル》聖南西ピエダーデ農家巡り=清水総領事夫妻と益田農場へ(2)=「3回潰れたけどなんとかなった」
益田さんによれば、果物は天候の影響を非常に受けやすく、同地では以前は霜が降りて熱帯果樹ができなかったが、今ではバナナやパイナップルも育てられるという。 柿の木が植えた広大な敷地には雹よけネットが張り広げられていた。「柑橘類は病気に注意しないといけない。怖い所でもあるけどそこが面白い」と語る。農場経営はもう息子たちに任せている。箱詰も機械化し、コンピューター制御で同じ大きさの果物をそろえることが簡単になり、箱の重さも均等に揃えて出荷できるようになった。 かつて20人を雇っていたが、働きに来る人が減ってきた。「やり方を変えていかなければいけないが、子どもたちはちゃんとやっている」と跡継ぎ達の頼もしい姿に信頼を寄せる。
だが「1時間だったら鍬でもまだ負けない。その代わり、まる1日は働けなくなった」と少し寂しさも感じているようだ。それでも「水曜日と土曜日はマレットゴルフ、日曜日は大会があれば行く。ゴルフも月2~3回行ってるから今は遊びに忙しい」と日焼けした肌で楽しそうに笑う。 一番大変だったことを聞くと、「これまで3回つぶれたよ。1985年の価値修正のころは借金が増えるばっかりでお金も入ってこない。土地を売っても追いつかない。1985年にパッと売って始末した人が生き延びて、それをせん人は雪だるま式に借金が増えた。1992年のコーロルプランでフェシャ(資産凍結)された時も。あの時僕は金がなかった。でもジャガイモをやってたからどんどん現金が入ってきてね。まあ色々ありましたよ。3回もつぶれたけど何とかなった。銀行から年3回か4回、2カ月か4カ月の期限でお金を借りる。いつも返済期日に遅れたけど、ちゃんと全部払ってきたから信用っていうものが本当に大事」と最高2千%/年を超えるインフレ率を記録したブラジル経済下での苦労を語った。 農場から戻ると、益田さん一家が農園で採れた栗で作った栗ご飯や柚子ジュース、アテモヤをレモンと混ぜたデザート、長男しげるさんによるシュハスコでもてなしてくれた。家の周りには、益田さん夫妻が植えた花々が咲き乱れていて実に美しい。 翌日、益田さんの次女明美さんと夫カルロスさんに再度農園を案内してもらった。農園を見渡せる高台に行くと、12アルケールの広さを実感する。主力3商品のほか、栗が8千本、空いている土地にはユーカリの木を植えて土地が荒れるのを防ぎ、木材として販売もしている。 まだアテモヤの収穫中で、次は柿の摘果となる。柿は袋掛けの作業もあり、手間がかかるという。摘果の仕方を教えてもらい、実際に体験させてもらったがかなり難しい。上を向いての作業は首が痛くなる。こうした作業を丁寧にやっているから、あの美味しい柿ができるのかと思うと頭が下がる。 シャンパーニュは摘果も袋掛けも必要ない。だが実を大きくするために少しだけ摘果をするという。開花してから収穫できるようになるまで10カ月かかるので、今年は剪定を行って花の咲く時期をずらし、2カ月ごとに収穫できるよう実験を始めたそうだ。カルロスさんは「いつも木と話をしとる。ちゃんと育っているかね」と語った。 益田さんが編集部まで届けてくれる果物はどれも本当に美味しいものばかりだったが、その美味しさの秘訣は「丁寧に愛情をもって育てられているからだったんだな」と今回の訪問で知ることができた。(つづく、麻生公子記者)