ダイエー杉浦忠監督が後任に田淵幸一を推薦した理由 「王貞治を口説いた男」が明かす真実のエピソード
1989年、福岡移転後1年目のシーズンを4位で終えた福岡ダイエーホークス。 11年ぶりの地元球団誕生に盛り上がる福岡だったが、経済界からはあまり歓迎されていなかった。 「流通王」と称されたダイエー創業者、中内いさお(漢字はへんが「エ」、つくりが刀)による一部の強引な出店が地元の反発を招き、その強引な商法に対する警戒があったのだ。 ダイエー球団元代表、瀬戸山隆三が当時を述懐する。 「中内が嫌いだ、ダイエーは嫌いだという声は結構聞きました。反発があると中内が感じたものですから、野球より先に地元に根付くことが最優先だということで、(監督の)杉浦(忠)さんにお中元を配って回ってもらえ、と」 監督が自ら財界要人にあいさつして回る。本業とかけ離れた役割ではあったが、歴史の転換点に立ち会った杉浦は積極的に球団に協力したという。そうした動きの中で、杉浦は「本当に地元財界を味方につけるには、私のような地味な男では駄目だ」と言い、後任を推薦。それが、翌年から指揮を執る田淵幸一だった。 その後、1993年に新たな本拠地として日本初の開閉式屋根を備える福岡ドームが開業。田淵の後任監督には西武の監督、フロントなどでらつ腕を振るった根本陸夫が就任した。同時に球団の代表取締役専務としてフロントのトップも兼ねた根本は、次々と球界を驚かせる仕掛けを放つ。 そのひとつが、巨人のユニホームしか着たことがなかった王貞治の監督招へいだった。(敬称略) ◇ ◇ ◇ 福岡ダイエーホークス元球団代表 、瀬戸山隆三氏 。 南海買収、福岡移転、王貞治監督招へい、悲願の初優勝。 瀬戸山氏はこうしたすべての出来事を間近で見てきた歴史の証言者だ。 時は流れ、ソフトバンクは2025年に球界参入20周年を迎えた。 常勝の看板を掲げるようになったホークス、その礎を築いた男が語る真実のエピソード。 TNCテレビ西日本は随時「ホークス エピソード0〈歴史の証言者〉」をYouTubeももスポチャンネルで限定配信(5回予定)する。第2回「世界の王を口説いた男」を配信中。
テレビ西日本