藤竜也「“正体不明の私”にならないために」 映画『大いなる不在』に認知症の父親役で出演
渡邊 玲子
長編デビュー作『コンプリシティ/優しい共犯』(18)でトロントやベルリンなどの国際映画祭に招待され、高い評価を得た近浦啓監督。5年ぶりの第2作は、監督自身の実体験に着想を得て紡ぎ上げたヒューマンサスペンスだ。森山未來演じる主人公の父親役で存在感を発揮した藤竜也に、80歳を超えても衰えを知らぬ俳優業への熱い思いを語ってもらった。
出演作は監督の名前で決めない
80歳を超えて、主役あるいは主役級で映画に出演し続ける藤竜也。最新作は短編を含めて3度目のタッグとなる近浦啓監督の長編第2作『大いなる不在』だ。主人公・卓(たかし、森山未來)の父親・陽二を演じている。
卓にとって陽二は、幼い頃に自分と母を捨てた男。その父がある日、事件を起こして捕まった。知らせを受けて面会に訪れた卓の前に現れたのは、見た目こそかくしゃくとしているが、支離滅裂なことを口走る老人だった。 父の再婚相手である義母の直美(原日出子)も行方が分からなくなっていた。彼らにいったい何があったのか。卓は、父の家に残されていた大量の手紙やメモ、父を知る人たちから聞く話を通して、知られざる父の半生をたどっていく…。 映画監督としてのキャリアをスタートさせた短編『Empty House』に始まり、長編デビュー作『コンプリシティ/優しい共犯』でも藤に出演してもらった近浦監督にとって、再び陽二役をオファーするのは自然な流れだったに違いない。ところが当の藤には「この監督の作品なら、一も二もなく出る」といった考えは一切ないのだという。 自らを「酷薄なところがある」と認める藤。たとえ何度目のタッグであろうが、予備情報はすべていったんリセットした上で脚本を読み、自分が本気で取り組みたいと思える作品かどうか、厳しい目でジャッジするところから始める。 「生きるって、美しい部分も、楽しい部分も、悲しい部分も、いろいろなものを含んでいるわけですけれども、1本の映画ですべてを語り尽くすことはできない。どうしてもある断面を切り取らざるを得ないじゃないですか。でも、近浦監督がお書きになったホン(脚本)は、どこを切り取っても“人間とは何か”というのが分かるんですよね。この映画は、決してハッピーな話じゃないですよ。“自分の正体を失う”という人間にとって残酷なフェーズのお話ですよね。だけれども、これを観て、人間を否定する気にはならないんです」