藤竜也「“正体不明の私”にならないために」 映画『大いなる不在』に認知症の父親役で出演
役に入り込む極意
「これはやりがいがあるぞ!」と、作品に取り組む意欲は即座に湧き上がったものの、果たして観客の目にどう映るのかについては、一抹の不安もあった。監督には、「どんな映画になるのか私には想像ができないのですが、いただいたこの老人の役はきっちりとやります」と話したという。 「父と息子の切ない関係を描き、醜くエゴイスティックに老いていく父の姿を、鳥瞰(ちょうかん)的に捉えている。人間が年老いていくというのは、きっとこういうことなんだろうなというのだけは、しかと分かるけれども、『ここで、観客にエモーショナルになってもらおう』とか『ここでちょっと笑ってもらおう』といった仕掛けが全く見えないんです。ところが、いざ出来上がった作品を観ましたらね、もう、どうしようもなく心が揺さぶられてしまった。私には、まだ脚本を読む力がないんだなとつくづく思わされました」 役をつかもうともがく過程で、その人物を「探偵のようにプロファイリングをしていくこともある」という藤だが、どういう訳かこの陽二という人物には、「ある瞬間にスポッと入れた」。 「監督の実体験に基づいているといっても、父親が大学教授で、認知症を患ったという2点だけ。でもどこまでリアルで、どこからフィクションなのか、私にとってそんなことは別にどうでもいいんです。私はすべてがトゥルーストーリーだと思い込んでいるので(笑)」 現場に入ったら、共演者と「芝居について言葉を交わすことは今まで1度もない」という。 「お互い、仕事ですからね。おしゃべりはしません。プロの俳優同士、カチンコが鳴った瞬間からいろんな会話をする。セリフがなくても、目の動きとか吐息とかでね。無音でコミュニケーションしているんです」 そう話す藤の目や身体から、“言葉を越えた何か”が、俳優ではない筆者にすら伝わってくるのが分かり、心底驚いた。これが現場で交わされる“気”というものなのか! 「そうそう。そんな風にいろんなことを感じながらやっているから、言葉はいらないんです」