センバツ山梨学院 第2部・支える/1 マネジャー・梶原茉倫さん 選手と一緒に戦う できることに妥協はしない /山梨
<第91回選抜高校野球> 山梨学院野球部は2018年8月11日、新チームが始動した。マネジャー1人が引退し、梶原茉倫(まりん)さん(2年)が後輩2人を束ねる立場になった。野球部員は1、2年だけで50人を超える。当初は「全部できるかな」と感じていたが、時間の経過とともに責任感が勝った。 小学生の頃、野球と出合った。二つ年下の弟の試合をよく見に行った。「最後まで何が起きるか分からない面白さがあった」。小学生最後の試合前、弟のポジション・センターを示す「8」と「勝つ」という文字を入れた、オレンジ色の手作りのお守りを渡した。バッグに付けて喜んでいる弟を見て「応援するっていいな」と思った。 海外で働く夢をかなえるため山梨学院の特進コースに入学。弟の野球を応援した時のように、選手を助けたいと野球部のマネジャーを希望した。水を運び、ボールを渡し、試合の記録を整理する日々。「遊ぶ時間もほとんどなくて」。それでも「ありがとうって選手の言葉だけで頑張れた。全てを懸けて戦っている選手を見て、自分も同じように全てを懸けたいという気持ちが強くなった」。 昨年10月。秋の県大会と関東大会の合間に、カナダへの修学旅行が重なった。別の教育課程で学んでいる選手たちは同じ期間中に旅行の予定はなく、甲子園を目指して練習することが決まっていた。「浮いた気持ちでチームに戻っては、選手たちと同じ気持ちで球場に入れない」。両親や担任の反対を押し切って学校に残る決断をした。「揺るがなかった。甲子園に行くことの方が自分にとっては大切だった」 チームは山梨2位で関東大会へ。道のりの険しさを思ったが「こんな気持ちでは駄目だ。何のために私はここにいるんだ」と前を向いた。マネジャー室で、18人分のユニホームを深夜まで縫った。5ミリずれれば作業をやり直した。自分なりの験担ぎで髪形も変えずに伸ばし続けた。「選手にしてあげられることはそんなにない。だからこそ、できることに妥協はしなかった」 関東大会の、ある場面が頭に焼き付いている。準々決勝の前橋育英戦。七回裏、相手打者が放った打球が中堅手のグラブに収まり、七回コールド勝ちでゲームセット。「試合が終わってグラウンドへ出ていった、みんなの笑顔が忘れられない」 センバツ出場が決まっても、やるべき仕事は変わらない。「選手と同じ気持ちで、一緒に戦う」。甲子園ではベンチに入って、出場する18人を支える。【金子昇太】 第2部は、3月23日開幕のセンバツに挑む選手を支える人たちを紹介する。=随時掲載<題字は3年・新井蝶結さん>