もう“永遠の2番手”じゃない。ヌービル、悲願のWRC初タイトルは「諦めず頑張り続けたご褒美。残る全てはオマケだ!」
2024年シーズンの世界ラリー選手権(WRC)でドライバーズチャンピオンに輝いたのはヒョンデのティエリー・ヌービルだった。2007年にラリーのキャリアをスタートさせてから苦節17年……自身初のタイトルは「何年も諦めずに戦ってきたことのご褒美だ」と言う。 【動画】WRCラリージャパン × 航空自衛隊 勝田貴元が”マシンスワップ”でF-2戦闘機に搭乗! これまでWRCで年間2位5回と、タイトルを獲得した経験がないドライバーの中では最強のひとりと目されてきたヌービルだが、チームメイトでタイトルを争ったオット・タナクに対して25ポイントの大量リードで迎えた2024年シーズン最終戦ラリージャパンでも、順風満帆とはいかなかった。 ヌービルはラリー序盤でタナクに次ぐ総合2番手につけていたが、高い信頼性を誇るヒョンデi20 N Rally1にターボトラブルが発生し一時は総合15番手まで転落。しかしそこから巻き返し、最終日を前に7番手につけた。 そこから物語は急展開を見せる。最終日の最初のステージでタナクがクラッシュによりリタイア。これによってヌービルのドライバーズタイトルが確定したのだ。 「とても誇りに思っているし、とても嬉しい。何年も諦めずに戦ってきたことのご褒美だね」 ラリージャパンを総合6位で終えたヌービルはそう振り返った。 「これまでは『どうして僕は常に激しく戦い続けているんだろう』と言葉がこぼれる瞬間もあった。成功のプレッシャーを自ら感じようとせず、楽しみ続ける必要があった。一方で僕はレーサーで、上手くいっている時しか楽しめないんだ」 いきなりトラブルに見舞われたラリージャパン序盤で、またしてもタイトルが手からこぼれ落ちるのではないかという考えが頭をよぎったと明かしたヌービルだったが、冷静さを保つことができていたという。 どのように冷静さを保っていたのかと聞かれたヌービルは次のように答えた。 「そんなに簡単じゃないよ。でも経験とか、僕が自分に『まずは夢のような人生を送れているとしっかり認識し、こういう機会に恵まれ、夢見ていたことをやれているのは一握りだ』と言い聞かせることができたからだ」 「僕はいつも自分に『思い通りにならなくても、既に夢のような人生を送れている。そこから活かすようにしよう』と言っていた。もちろん、そう思えない時もあった」 「今年は特にチャレンジングで、常に大丈夫だと感じていたわけではなかった。でも僕らは仕事をこなし続ける必要があったんだ」 またヌービルは、名実ともにWRC世界チャンピオンの称号を手にしたことで、ラリーへの向き合い方も変わってくると明かした。 「より楽しむようになると思う。常にそうってわけじゃないけど、時にはそういう時も訪れると思う。最後のチェックボックスをクリアできたから、プレッシャーも少しは減るね」 「やりたいことリストは済ませたから、残る全てはオマケだね」
滑川 寛, Tom Howard