「大阪生まれの在日コリアン3世」が、韓国に留学して気づいた「語学の勉強でなにより大切なこと」
「ルーツ」は遠ざるほど向こうから近づいてくる
留学中、たまたま知り合った韓国にルーツをもつ日本人女性と、ごはんを食べる機会があった。 その女性は、50歳で一念発起しての韓国留学だという。母親が在日コリアンだった。その女性は日本国籍を取得している。小さいころから、「在日コリアンというルーツを持つことにはいい思い出はなかった」という。 初めて韓国に行ったのは30年前。母親が亡くなり、祖母とともに初めて韓国の地を踏んだ。その時は「韓国にはいい印象を持たなかった。もう来たくないと思った」という。たしかに、当時の韓国はいわば「開発途上国」で、いまのような洗練された姿とは全然違ったはずだ。 それでも、「遠ざけようと思うほど、向こうから近づいてきた」のが韓国だった。2000年代中盤から10年間、映像レンタル業界で働いていた際は、韓国ドラマの輸入を担当した。韓国人と知り合う機会も多かった。イメージが変わりつつあった。 そして、転機が訪れた。ある手術をした。すると、末期がん患者と同じ病室だった。40歳くらいのその女性は、母親に対し、「次の季節がきたらあれをしたい、これをしたい」と話したという。母親は困っていて、それを聞いていると心が参ってきた。退院したとき、ふと頭に浮かんだことがあった。 「やりたいことをやろう。韓国に行こう」 韓国への留学を決心したのだった。 女性の話を聞きながら、すごく共感した。遠ざけようと思うほど向こうから近づいてくるのが「ルーツ」(出自)である。かといって、掴もうとするとうまく掴めなかったりもする。1年間の韓国留学の後、僕は「韓国」をがっちり掴めているのだろうか。それはまだよくわからない。 * 韓さんは韓国留学でなにを発見するのか。【つづき】「「大阪生まれの在日コリアン3世」が、韓国に留学した直後「とにかく不便だった」意外なこと」の記事では、さらにその経過を追っていきます。
韓 光勲(ライター)