「対幻想」発生の現場は修羅場だった?―ハルノ宵子『隆明だもの』鹿島 茂による書評
◆「対幻想」発生の現場は修羅場だった? 吉本隆明の長女で漫画家のハルノ宵子が父と母と過ごした日々を回想したエッセイに妹の吉本ばななとの姉妹対談などを付した一冊だが、PR誌で『共同幻想論』を解読しようと悪戦苦闘している私にとってはこれ以上にありがたい本はない。「ヘンな話、うちの家族は全員がちょっとした“サイキック”だ。(中略)父の場合は、ちょっと特殊だった。簡単に言ってしまえば、“中間”をすっ飛ばして『結論』が視える人だったのだ。(中略)無意識下で明確に見えている『結論』に向けて論理を構築していくのだから“吉本理論”は強いに決まっている」 ふーむ。これは凄い。まさに私が『共同幻想論』解読の末にようやく到達した結論と同じである。では、いったい、こうした吉本のサイキック(スピリチュアル)な能力はどこから来ているのか? “現代的な表現をするならば、一種の“高機能自閉症(サヴァン症候群)”だ。たぶん人間は、縄文期頃までは、普通に行使していたはずだ。(中略)たとえばネイティブアメリカンの族長を想像してみてほしい。なんとなく父のイメージと重なると思う。 論理とスピリチュアルは、決して相反するものではない。まずインスピレーションありきで、そこに経験や修練によって得た知識の強固な裏打ちがあってこそ、父はあそこまでの仕事ができたのだと思っている。” 吉本スピリチュアル説! なるほどこれを用いると『共同幻想論』の難解な前半部分もわかりやすくなる。では後半の中核である対幻想についてはどうか? この点でも本書は最高の絵解きとなる。 “父と母は、正反対のベクトルの強い力で反発し合いながら、同じ力で引き合い均衡を保っていた。お互い自分と同等のエネルギー値を持つ者は、この世に他に存在しないと、どこかで分かっていたのだと思う。” 吉本と「同等のエネルギー値を持つ」とはどういう意味なのか? 後半に収められた姉妹対談を読むとわかる。病弱だったこともあり、料理が嫌いだった母和子が完璧を期してつくる料理の「恐怖」が語られているからだ。 “吉本 「私、母に料理を作られると逆に恐怖だった」 (中略) ハルノ 「そうですね。だから大晦日とかすごい恐怖だったわ」” こんな夫婦だったからこそ「対幻想」という画期的な概念が生まれたのだろうが、その発生の現場は修羅場であったに違いない。 “吉本家は、薄氷を踏むような“家族”だった。父が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった。” 最晩年、糖尿病で眼と脚をやられ、認知症を併発した吉本は「薄闇に包まれた、肉体という牢獄の中に閉じ込められ」た存在になった。没する4、5カ月前、突然、玄関で物音がしたので駆けつけると外出の支度をした吉本がたたきに転がっている。これを見た著者は死の予感によって姿を消す猫の死に方を連想する。「最後には真の自由と孤独の時間を生きるために、すべての老人も出て行くのだと思う」 「族長」吉本は縄文人のような死に方を望んだのかもしれない。身内の回想とは位相を異にする、父親論にして最高の吉本論。 ◆【オンライン視聴・現地参加可能:イベント情報】2024/01/26 (金) 19:00 - 20:30 ハルノ 宵子×鹿島茂 、ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)を読む 書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、第59回のゲストはハルノ宵子さん。メインパーソナリティーは鹿島茂さん。 https://allreviews.jp/news/6408 [書き手] 鹿島 茂 フランス文学者。元明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。 1949年、横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。元明治大学国際日本学部教授。 『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。新刊に『日本が生んだ偉大なる経営イノベーター 小林一三』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社)などがある。 Twitter:@_kashimashigeru [書籍情報]『隆明だもの』 著者:ハルノ宵子 / 出版社:晶文社 / 発売日:2023年12月12日 / ISBN:4794973837 毎日新聞 2024年1月13日掲載
鹿島 茂
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