藤原行成「道長も一条天皇も信頼」驚異の論破力。幼少期には後ろ盾を失うものの、着実に出世を勝ち取る。
■どちらを皇太子に? 行成の意見 ところが、第1皇子・敦康親王を皇太子にすることについて、一条天皇から意見を聞かれると、行成は「敦康親王の立太子には反対」という立場をとった。「敦康親王について思い嘆くのは、当然のこと」と一条天皇に寄り添いながらも「皇統を継ぐ者は、外戚が朝廷の重臣かどうかが重要」だとした。 というのも、左大臣の道長が、外孫にあたる敦成親王のほうを、皇太子にしたがるのは当然のこと。いくら一条天皇が敦康親王を皇太子にしようとしても、道長は簡単には承知しないだろう。
強引に敦康親王を皇太子に立てると、批判や不満の声が上がることは避けられない。下手すれば、政変が巻き起こるだろう。そうなれば、追い込まれるのは敦康親王である。 強力な後ろ盾がいない敦康を皇太子に据えても、混乱を招くのみ。それならば、十分な恩給を与えて、有能な人材を仕えさせたほうが、敦康親王のためにもなるのではないか……というのが、行成の意見だった。道長の気質を踏まえたうえでの、今後を見通した現実的な提言といえよう。
一条天皇は、敦康の擁立を断念。道長の孫にして、第2皇子の敦成親王が立太子されることとなった。 大局的な見地から、論理を組み立てて、相手を説得することに長じていた行成。大河ドラマ『光る君へ』では、誠実で温和な行成を渡辺大知が好演してる。大事な場面では、情熱的に語る姿も、よく表現されているように思う。 ■意外とめんどくさい一面も 一方で『権記』をよく読むと、最愛の妻を亡くしたときに、弔問に来なかった人物の名前をしっかりと書き残していたり(長保4〔1002〕年11月23日)、「私は道長に作法を褒められたが、権大納言の藤原斉信の作法は道長に酷評された」とわざわざ記していたりと(寛弘8〔1011〕年10月18日)、陰気でプライドの高い一面も、垣間見られる。
そんな行成の意外とジメジメしたところもまた、相手への細やかな気遣いへとつながったのではないだろうか。 【参考文献】 山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社) 『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫) 『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫) 倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館) 源顕兼編、伊東玉美訳『古事談』 (ちくま学芸文庫)
桑原博史解説『新潮日本古典集成〈新装版〉 無名草子』 (新潮社) 今井源衛『紫式部』(吉川弘文館) 倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書) 関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書) 繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房) 倉本一宏『藤原伊周・隆家』(ミネルヴァ書房) 真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
真山 知幸 :著述家