「チェアマン」川淵三郎の知られざる一面 サッカー、なでしこ、バスケットボール、変革を続けた日本の平成スポーツ史の裏側
「独裁者」VS「読売のドン」論争
Jリーグ元年、93年には180試合が行われ、1試合平均の入場者数は1万7976人で、JSL時代の4.5倍になった。クラブの平均収入も予想をはるかに上回る25億円に達した。 上々の好スタートを切ったJリーグは、それまで「独り勝ち」だったプロ野球を刺激する形にもなった。チーム名を地域名と愛称にして企業の名前を消し、テレビの放映権をリーグ管理としたのもプロ野球を「反面教師」として生まれた施策だ。入場者数を実数で発表したのも、概数でしか発表していなかった、当時のプロ野球への挑戦に映った。 「川淵は独裁者だ」。プロ野球・読売ジャイアンツの親会社、読売新聞のドン、渡辺恒雄が猛烈に反発した。とりわけ渡辺が問題にしたのは、放映権のリーグ管理だった。系列の日本テレビでの放映を通じて、ヴェルディをジャイアンツと同様の人気球団に育て上げようというビジネスプランがJリーグでは使えない。
川淵は新聞のインタビューに「Jリーグにジャイアンツはいらない」と答えている。巨人戦のテレビ放映を通じてリーグ内の優先的地位を確立し、コミッショナーすら意のままにクビをすげ替えてきたプロ野球での「読売支配」に対する拒否宣言でもある。 <地域密着、ホームタウンに根差したJリーグと、興行色の強い野球。観客1人に至るまで実数を発表し、健全なクラブ経営に繋げようとしていた経営方針と、どんぶり勘定で常に東京ドームを満員と発表するプロ野球。様々な違いや、その理由をメディアで説明するたびに、Jリーグの理念への理解が深まっていく手応えがありました。>(91頁) 「独裁者」と読売新聞の「ドン」。激しい論争を繰り広げた2人には後日談がある。川淵の古希(70歳)の祝いに渡辺がこんなメッセージをおくったという。 「サッカーと野球で青少年の精神向上に頑張りましょう」。<あの論争の本当の意義とは、渡辺さんと僕、新旧プロスポーツの対立などではなく、日本のスポーツ界をリードしていくための共闘へのスタートでした。>(92頁)