二重被災で振り出しに戻った復興 能登地震10カ月、苦悩する被災者
能登半島地震から1日で10カ月になった。9月の豪雨でも被災し、復興の歩みが振り出しに戻った集落の住民は苦悩の色を深めている。 【写真】被災した集落をどう再建するか 新潟・山古志で学ぶ能登の住民たち 山は大きく崩れ、大量の土砂がふもとの家を押し流し、海沿いを走る国道まで塞いでいる。 「もうここに住むなと、烙印(らくいん)を押されたようだった」。半島の先端に近い石川県珠洲市仁江町。区長の中谷久雄さん(69)は豪雨後、集落の様子を見に訪れ、そう思った。 23世帯の仁江町では、地震による土砂崩れで住宅1棟がのみ込まれ、9人が犠牲になった。さらに崩れるおそれから避難指示が出されたうえ、対策工事に数年かかる見通しで、県は5月に全世帯を長期避難世帯に認定。集落に住めなくなった。 その間、ばらばらになった住民はLINEグループを作り、全世帯が連絡を取り合える体制を築いた。意見をまとめ、3月以降3回にわたり、市に集落内への災害公営住宅の建設を求める要望書を出した。 災害公営住宅の用地には、約2メートル隆起した集落前の海岸を埋め立てることを提案。市は、宅地にすることを想定して海岸を造成するための覚書を国と交わす調整を進めていた。 その矢先、豪雨に襲われた。集落再建への道筋が見えなくなり、中谷さんは、集落に戻りたいと願う人が減るおそれを抱く。「改めて住民と今後のことを話し合いたい」 仁江など13集落からなる大谷地区の地震前の住民は約840人。いまも残っているのは、その3割ほどとみられている。(上田真由美)
朝日新聞社