77歳の若手芸人・おばあちゃん、波乱万丈すぎる人生「無理しない」だけでは夢は叶わない
吉本興業に所属するピン芸人、おばあちゃん。2019年4月にデビューした芸歴5年の“若手芸人”だ。昨年のM-1王者令和ロマンは東京NSCの1期先輩にあたる。若手といっても年齢は77歳。昭和、平成を懸命に生き抜き、令和の時代に新人としてデビューを果たした後期高齢者なのだ。家族の生活のため中学卒業後に就職、働きながら通信制高校、短大、4年制大学を卒業。38歳の時にはステージ4の乳がんが発覚し、生死を彷徨う。そんな彼女の波乱万丈すぎる人生の「THE CHANGE」に迫る。 ■【画像】77歳の“若手”おばあちゃん、神保町よしもと漫才劇場『ネタフェスティバル2024』でネタ披露 吉本“最高齢若手”芸人・おばあちゃんこと沖原タツヨさんは、第二次世界大戦終戦の二年後である1947年に、東京の郊外で第二子の長女として生まれた。日本全体が貧しかった時代だ。 「家族みんなが食べるだけで精一杯。でもどこの家も同じようなものだから気にはなりませんでした」 母が病気がちだったため、小学校3年になるころには家事はタツヨさんが切り回すようになった。男兄弟はやらなくてもいいのに。でも、そんなものだと思っていた。 教師に都立高校への進学を勧められた時にも、女に学問はいらない、という理由で高校進学を許されなかった。心中は複雑だった。 「男女差がはっきりとあった時代でしたから。でも、私なんかはまだまだ序の口だと思います。同年代にはもっとご苦労された方がいっぱいいますよ。女は家のことをやっていればいい、旦那さんが帰ってきたら三つ指ついておかえりなさいをするのが仕事、そういうことを言われるわけですよ。でも、今とは時代が違うからどうしようもなかったし、嘆いても仕方なかった。ひとまず受け入れるしかありませんでした」
高校はもちろん、できれば大学にも行きたかった
だが、多くの同年代とタツヨさんが少し違ったのは、進学の夢をずっとあきらめなかったことだ。中学を卒業すると、大手企業で事務員として働き始めた。給料は全額を親に渡し、そこから貰ういくばくかのお小遣いをせっせと貯金にまわした。 「ただただ上の学校へ行きたくって。学校に行ったところで、何ができるかは自分でもよくわかっていないけれど、高校はもちろん、できれば大学にも行きたかった。当時は行けるとも思ってはいませんでしたけどね。でも、どうしても行きたい。それを叶えるのに必要なのはやっぱりお金だよね、と思ったんです」 昔から思ったことはやりとげないと気がすまない性格のタツヨさん。実は就職後、17歳の時に一度退職して職業訓練校に入っている。今で言うリスキリングのはしりだ。 「手に職をつけようと思いましてね。並行して通信制の高校にも入学したのですが、高校の方は途中で学費が払えなくなって断念しました」 学ぶためにもお金が必要と理解し、ますます貯金に精を出すようになった。 「当時、女性の給料は安かったんです。けれども、少しずつでも貯めておけば、できるタイミングが来たときにお金を理由にあきらめないで済む。だから、少ない給料からどうお金をひねり出す方法を一生懸命考えました」 結果、徹底した節約を実行した。 「洋服は一度買ったら手入れして長く着る。美容院にはめったに行かない。行ってもカットだけ。お化粧はしない。クリームを塗るぐらい」 学費のために欲しい物を後回し。まるで苦学生の鑑のようだが……。 「おしゃれにまったく興味がなかったわけではないけれども、だからといって無理して節約していたわけでもないんです。どちらかというと自分に対してのケチを楽しんでました」 門賀美央子
門賀美央子