今の小学生はデザートを食べられない?ロシア・ウクライナ戦争が及ぼす、学校給食への「静かな危機」
学校給食はコストではないかけがえのない体験を守れ
学校給食が子どもたちにとってどのような役割を持つか、目的を定めて力を入れる自治体がある一方で、日本では「『社会全体で子どもを育てる』という意識が浸透しきっていないように思われる」と前述の山口教授は話す。 日本社会における学校給食の立ち位置について、管理栄養士で仙台市議会議員の樋口典子氏は「無償化の議論も大切だが、まだまだ『食は家庭のもの』という意見も根強い。『飯炊きと子守りは母親がするもので、なぜお金をかける必要があるのか』と言われることもあり、性別の役割分担の延長線上に置かれ、子どもたちにとっての給食の重要性が軽視されている。加えて、完全給食(主食とおかずがそろった食事)を全ての自治体が実施できているわけではなく、まずはそこから整備していくべきではないか」と指摘する。 学校給食が持つ意味とは何か─。小誌記者の疑問にさいたま市の小学校で栄養教諭を務める能口直子さんは笑顔でこう答えてくれた。「給食は子どもたちにとって出会いの体験だと思う。特に小学生では、給食で初めて食べる料理がある子も多い。給食でおいしい、楽しいという思い出とともに食事をすれば、その後の人生でもその子は進んで食べるようになる」。 満足に食べられない子どもたちのために始まった学校給食は、今も子どもたちにとって「生きる」糧となっている。子どもの頃のかけがえのない体験を守っていくためにも、学校給食を単なる「コスト(削減)」の対象として見るようなことは慎むべきであろう。 〝静かな危機〟に直面しているからこそ、いま一度、学校給食の「原点」に立ち返り、子どもたちにとっても、大人たちにとっても、何が最適解なのか、議論を深めていく必要がある。
野口千里