2代目通天閣60周年 てっぺんから撮影した360度画像
2代目通天閣60周年 大阪をこんな風に見守ってきた 撮影・編集・ナレーター:柳曽文隆 THEPAGE大阪
大阪市浪速区の通天閣(2代目)が28日で再建60周年を迎えた。これを記念して同日、記念セレモニーが行われ、同日は通常700円の入場料が一律210(ツーテン)円となるなど、曇天模様を吹き飛ばすお祝いムードに包まれている。THEPAGE大阪では、通天閣がどのように大阪を見守ってきたかを知るべく、特別に通天閣のてっぺん、避雷針部分で撮影を行った。
27日午後4時すぎ、青空が広がり、うろこ雲が浮かぶ下、取材班は通天閣観光の高井隆光副社長とともに、昨年12月にオープンした天望パラダイスに集合。はしごをつかって、天望パラダイス上部にある、光の天気予報ネオンの中へと入る。狭く丸い空間の中央付近にはしごがあり、それを登ってハッチを開けると、一面に広がる大阪市内を眺めることができた。
少々風が強かったが、夕陽をあびる大阪の様子が一望できる。南東には日本一の超高層ビル「あべのハルカス」、西側には海や南港のみなと大橋、キタ・ミナミのビルはもちろん、大阪城まできれいに見渡せる。 「周りは高い建物が増えましたけど、まだまだ眺望は展望台からでも楽しめます。ほら、あそこには太陽の塔も見えるんですよ」と指差した先には、たしかに小さくではあるが大阪府吹田市の万博記念公園にある太陽の塔を確認できた。
初代通天閣は1912年(明治45年)に建設されたが、1943年1月16日、通天閣のすぐ足元にあった映画館「大橋座」が失火で炎上、通天閣も焼かれてしまうという思いもよらない事態に見舞われた。鉄骨がむき出しになって無残な姿に。戦争中で鉄骨資材が足りない時代でもあり、結局、翌年に解体され、300トンの鉄くずとなって政府に供出された。 消失から10数年、「支柱」を失った新世界では通天閣再建の動きが活発化した。住民らの努力で1956年、通天閣の再建工事が始まり、10月28日に2代目通天閣が誕生、開業した。地上103メートルのこの大鉄塔は、実は東京タワーと同じ内藤多仲が設計した。 翌年7月、開業以来「丸裸」だった2代目通天閣に広告ネオンが灯った。日立製作所と主塔広告賃貸借契約が結ばれ、その形は現在に至る。