孫正義がブチギレた!「ガソリンかぶる」「100円ライター持っとるでしょ」役人に詰め寄ったワケ
新世紀を迎えた2001年。大容量のデータを高速で通信できるインターネット回線、ブロードバンドの時代がやって来る。孫正義はそれを見て取った。幾千、幾万の、映画や音楽、テレビ、ゲームソフトをインターネットを通じて享受できる現在を、実現する足がかりを造ろうとした。当時のトップエンジニアたちはそれに否定的。だが、孫は突き進んでいく。※本稿は、井上篤夫『志高く 孫正義正伝 決定版』(実業之日本社文庫)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● つねに勝てる状況を作ってから動く 孫正義が初めて挑んだ「無茶な戦い」 巨人NTTに戦いを挑んではいけない。 だが、たったひとり挑んだ男がいる。 「創業以来、こんなにつらいことはなかった」 1981年9月に日本ソフトバンク設立。株価は2000年2月をピークに下がりつづけた。 格付会社のJCRはソフトバンクの格付をbb、「投機的」と判断。新たな資金調達の道が絶たれた。ソフトバンクは絶体絶命ともいわれた。時価総額が40分の1に縮んだ。 2001年1月6日、「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法」(IT基本法)が施行された。この法律によってさまざまな競争政策や規制緩和が行なわれることになった。 「まさに時刻(とき)、きたれり。この日を待っていたのです。私たちも参入できると思った」 孫は経営資源をすべてブロードバンドに注ぎ込む決断をした。Yahoo!BBは2001年9月のサービス開始に向けて走り出す。 だが、順調に進みはじめたと思われたブロードバンド事業が、NTTの大きな妨害にあった。加入申し込みをしても開通しないユーザーから、苦情が殺到していた。
「ソフトバンク創業から20年、いままでそういう無茶な戦いっていうのはほとんどやってない」 孫はいかなる場合も充分に準備をして、不利な状況にある場合には極力、戦いは挑まないようにしてきた。 だが、孫はあえて自分たちよりも圧倒的に大きな相手であるNTTに直接戦いを挑んだ。東西に分割されたとはいえ、すべて持ち株会社の下にある。実態は旧電電公社時代の独占のまま。管路も電柱も局舎も独占的に使っている。その弊害がさまざまな形で起きていた。 ● 立ちはだかるNTTの壁 孫は総務省に乗り込んだ Yahoo!BB開通に必要なNTTの局舎内での接続工事の妨害。 たとえば、電話の名義とYahoo!BBの申込者の名義が違っていると、それだけで延々と待たされる。あるいは、国民の共通財産である電柱もほぼ独占している。ネットワーク機器を局内に置くための申請書類は煩雑かつ作成に多大な時間がかかる。 NTTの“牛歩”作戦。局舎のなかのコロケーションサービス(ネットワーク設備の設置)や局舎同士をつなぐダークファイバー(敷設されていながら使用されていない光ファイバーのこと)の利用も、不公平きわまりない。 民営化されたのは形だけ、NTTはいまだ独占的支配のままなのだ。公平な競争が行なわれていない。孫は怒りをあらわにする。 「この戦いは避けるわけにはいかない」