女優と作家を両立する【酒井若菜さん(43)】「二足のわらじがなければ苦しくなっていたかも」|STORY
<作家+女優>酒井若菜さん 43歳・東京都在住
多様性の時代において、ひとつの職業に限らず複数の職業を両立させることは珍しくなくなっています。今回は、自分らしく輝くため、どちらの仕事も欠かすことなく全力で取り組む、二足のわらじを履きこなす女性たちに注目し、取材してきました。 【写真あり】女優と作家を両立...酒井若菜さん(43)の現在
女優だけだったら辛かったかも。書くことで自分らしく生きられた
「幼稚園のお遊戯会で、なぜか白雪姫と小人の二役をやったことがあって、そのとき『やっぱりこれだ』って思った記憶があるんです。『やっぱり』ということは、その時点で演じることに楽しさを見出していたんでしょうね(笑)」。 そう話すのは酒井若菜さん。当時、煌びやかな衣装を身にまとい、ステージで歌う女性アイドルに憧れたことも芸能界を目指すきっかけのひとつ。ただ、子どもながらに道は厳しいと感じていたため、カウンセラーになりたいという現実的な目標を持ちつつ、15歳のときに「デビュー」というオーディション雑誌を見て、片っ端からオーディションに応募しました。 数カ月後、所属事務所も決まり、いよいよこれからと夢が膨らむものの、決まるのはエキストラの仕事ばかりで、栃木から東京までの交通費や宿泊費がかさむ日々。小さいころから本が好きだったこともあり、本屋でアルバイトをしながら女優を目指しました。 本を読むだけでなく、文章を書くのも好きだと気付いたのは小学5年生のとき。毎日新聞の作文コンクールに入賞し、新聞に作文が掲載されると、その後も作文や詩など酒井さんが書くものは次々表彰されました。「もしかして文を書くことが得意なのかもしれない」と思い始め、19歳のときには、ただ書きたいという一心で童話まで作り上げました。 「本を書きたいと思っても、実際に書きはじめる人はとても少ない。更には書き終える人なんてほぼいない。その童話は出版もしていませんし、誰にも見せられないような文章ですけど、やり遂げたのは自分自身誇らしい。いつかプロとして文章を書けるようになりたいと思ったのは、そのときからです」。 体調不良により芸能活動を一時休止した25歳のとき、以前からオファーがあった小説の執筆を決意し、’08年に初の著書となる小説『こぼれる』を発売。その後3冊のエッセイ集を発売しました。しかし当時は、グラビアアイドルから女優へ、さらには作家を兼ねる人はおらず、あれこれやろうとすることに風当たりは強かったといいます。 「道がないところに作ろうとすると、労力を使うのは当然だし、時間もかかる。でもその道を誰かが切り拓いておけば、10年後にはきっと当たり前に通れる広い道になっているはず」。酒井さんの言葉通り、今では俳優をしながら執筆される方も多くいます。 小説を書いてみて、一番大変だったというのが情景描写。どういう街にあるどんな本屋なのかなど、読者からすればさらっと読んでしまうような文章にこそ、非常に苦労することを知り、当初は台本を読むときにも「ここに点を打っているのには意味があるはずだ」と書き手の気持ちを想像し、句読点の位置まで正確に覚えるようになってしまったのだそうです。書き手と演じ手、どちらもやっているからこその難しさ。 しかし、「表現する」のは作家の仕事で、「体現する」のが女優の仕事なのかもしれないとふと気付きます。文章を目で読むことと、文章を声に出して読むことは違う。句読点は気にせずセリフを言ってもいい。語尾は少し変えることでより口語になることもある。一方文章では、読点を多く打つことで主語が受け取りやすくなったりする。その違いの面白さに気付いたとき、両方選ぶことが酒井さんにとっての正解だったと話します。 「もともと表現する仕事がしたかった私は、書くことをせずに女優だけをしていたら苦しくなっていたかもしれない。二足のわらじを履いたからこそ、自分らしい人生を歩めているんじゃないかなと思います」。 <編集後記>酒井さんが書籍カバーに自分の写真を使わない理由 昔はタレント本=本の価値が低く見られることもあった時代。酒井さんにとって、「タレント本」と言われるのが悔しくて、どんなに「顔写真を入れたほうが売れますよ」と勧められても、絶対に書籍カバーに自分の写真を入れなかったのだそうです。優しい語り口の中にも、執筆業に向き合う本気の姿勢が垣間見える取材でした。(ライター篠原亜由美) 撮影/BOCO 取材/篠原亜由美 ※情報は2024年10月号掲載時のものです。