「不本意ながら涙をのんで発令した」遅すぎた司令の方向転換~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#35
外務省の公判記録に記載なし
日本にも横浜裁判の公判記録はある。外務省の公文書館、外交史料館に収蔵されているものだ。石垣島事件の公判記録を見ると、井上司令が「命令があったことを認めた」重要な局面であるにも関わらず、井上司令が証言した2月2日から5日まで、証言内容の記載がなかった。 2月2日に、すでに提出されている自分の証拠が、意思に反して記載された内容になっているとして、相違点を指摘して訂正したとだけ書かれている。誰が証言台に立ち、委員会や検察側からの尋問が行われたということは書いてあるのだが、質問やそれに対する証言内容は、一切、書かれていない。意を決したはずの、井上司令の「方向転換」は、さしてインパクトもなく、むしろ、遅すぎるという印象を残しただけだった。 そして判決にも、全く反映されなかったー。 (エピソード36に続く) *本エピソードは第35話です。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。