「言葉がでない…」「早すぎる」磐田が59歳で他界したスキラッチ氏を追悼…通算93試合65得点、ともにプレーした藤田俊哉氏も追悼「多くのものを学びました」
ジュビロ磐田が、かつて所属した元イタリア代表FWサルバトーレ・スキラッチ氏を追悼した。 【写真】スキラッチ、中山、名波、藤田…錚々たる顔ぶれの磐田イレブン 18日、数年前から大腸がんの闘病を続けていたスキラッチ氏が他界。59歳の若さで帰らぬ人となってしまった。 現役時代はメッシーナ、ユベントス、インテルとイタリア国内クラブで活躍。1990年のイタリア・ワールドカップ(W杯)では6ゴールで得点王とともにMVPに輝き、母国大会で3位に導いていた。 1994年から1997年までの4シーズンにわたって磐田でプレー。加入2年目の1995年には得点ランキング2位の31ゴールを記録。J1通算78試合56ゴールを記録、公式戦では93試合65得点すると、1999年に現役を引退。磐田が現役最後のクラブとなっていた。 スキラッチ氏の訃報を受け、磐田はストライカーを追悼した。 「この度、サルヴァトーレ・スキラッチ氏のご逝去に接し、クラブ一同、深い悲しみに耐えません。心よりご冥福をお祈り申し上げます」 「スキラッチ氏は1994年から1997年まで当クラブに在籍しました。1990FIFAワールドカップイタリア大会得点王の前評判通りの高い技術と本能的なプレーでゴールを量産し、ジュビロのみならず日本のストライカーに大きな影響を与えました。選手やファンからは‘トト’の愛称で愛され、今でもジュビロのレジェンドとして、クラブの歴史に深く刻まれております」 「1999年に現役を引退され、その後は故郷パレルモでサッカースクールを運営されながら、タレント活動や解説者としてもご活躍されました。また、慈善活動にも積極的に取り組み、サッカー界への大きな貢献をされました。その人間味あふれる温かい人柄と情熱は、今なお多くの人々に敬愛されています」 「最近は体調を崩されていたとのことでご回復をお祈りしておりましたが、このような結果となり大変残念です。もうお会いすることは叶いませんが、スキラッチ氏がジュビロに残してくださったものは、これからもずっと私たちの心に生き続けるでしょう」 「ご遺族の皆様に、心よりお悔やみを申し上げますとともに、スキラッチ氏のご冥福をお祈り申し上げます」 また、現役時代はチームメイトとしてもプレーした元日本代表MFで現在はスポーツディレクター(SD)を務めている藤田俊哉氏もコメントしている。 「あまりにも早い突然の別れに驚くばかりです。ワールドカップの得点王と、ジュビロで一緒にプレーできたことは、サッカー選手としての宝物です。素晴らしいストライカーでした。彼のプレーから多くのものを学びました。ご冥福をお祈り申し上げます」 磐田のファンは「Jリーグに来てくれてありがとう」、「言葉がでない…」、「幾つもプレーが目に焼き付いている」、「あまりにも早すぎる…」、「サインもらったの覚えてます」、「天国で磐田を見守ってください」とコメントを寄せている。
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