センバツ準優勝→大学軟式野球 習志野元主将・竹縄俊希が葛藤の末にたどり着いた「野球本来の楽しさ」
2019年、平成最後の選抜高校野球大会(センバツ)で、千葉・習志野高校が準優勝に輝いた。習志野は1967年と1975年に夏の甲子園で優勝しているが、センバツで決勝進出を果たしたのは初めてだった。 2019年は夏も千葉県大会を制し、甲子園に出場した。この代は「ダブル主将」制を敷いており、二人いる主将の一人としてチームを牽引したのが、竹縄俊希外野手だ。竹縄は大学では硬式野球を続けず、東北福祉大軟式野球部に入部。11月20日、学生最後の大会となった全日本大学軟式野球選手権大会の初戦にスタメン出場するも敗れ、引退を迎えた。激動の野球人生。そこには、「聖地」の景色を見たからこその葛藤と気づきがあった。
高校3年の夏を前にしても見えなかった進路希望
高校最後の夏の大会を前にして、習志野の同期は大部分が卒業後の進路希望を固めていた。エースの飯塚脩人投手(現・早稲田大)、もう一人の主将である根本翔吾外野手(現・中央大)ら、関東圏の強豪大学で硬式野球を続けることになった選手も多数。一方の竹縄は「主将をやっていたこともあっていろいろと追い詰められてしまって、自分の将来について考える時間がなかった」。ただ一人、1年後の未来を思い描けずにいた。 甲子園2回戦で敗退し高校野球を終えると、「燃え尽き症候群」の状態に。高校野球の最前線でプレーする中で、自らの選手としての「限界」も感じていた竹縄は、兄が在籍していた都内の大学に進学し野球とは距離を置く決断をした。 そんな折、縁があって東北福祉大軟式野球部で指揮を執る小野昌彦コーチに声をかけられ、軟式野球という選択肢を知った。「軟式野球を本気でやれるかな」とのネガティブな感情が本音だったが、最終的には「野球を嫌いになったわけではないし、違うステージでもう一回頑張ってみよう」との考えに至り、地元の千葉を離れ東北で再出発を切ることになった。
もがきながら駆け抜けた「完全燃焼」の野球人生
大学入学後は「ギャップ」に悩まされた。高校時代は県大会からプロ野球・千葉ロッテマリーンズの本拠地であるZOZOマリンスタジアムが試合会場になっていた。「平日でも内野席は満員で…当たり前だとは思っていなかったですけど、改めてすごい環境でやらせてもらっていたんだなと思いました」。さらに甲子園では、県大会を遥かに上回る大観衆を熱狂させた。 大学軟式野球の試合は、観客が数えるほどしかいないのが現状。グラウンドから見る景色は一変した。「やるからにはかっこよくありたいし、一流になりたい。誰にも負けたくないという気持ちで上り詰めてきた。だけど、大学でギャップを感じてから一気に、夢や目標、野球を続けるモチベーションを見つけられなくなってしまった」。惰性で野球に取り組む日々が流れていった。 確固たるモチベーションを見つけたのは、4年生になった今年の夏頃。全国大会出場を逃した直後のある日のことだった。竹縄は「自分でも気づくのが遅かったと思うんですけど」と頭をかきつつ、「小、中、高と各年代で思い出がたくさんあるけど、大学ではこれといった思い出がない。ここまで一生懸命やり切れていた野球を、不完全燃焼で終わらせたくはない」との思いが自身を突き動かしたことを明かした。 社会人になってからは、野球は続けない予定。学生のうちにもう一度、野球と本気で向き合い、全力でプレーした。思いはチームメイトにも伝播し、最後の秋は全国大会出場切符を勝ち取った。