「もう無理かも」岩佐まり(40)若年性アルツハイマー型認知症の母の介護に疲れ果て…夜中にケアマネに送った一通の「メール」
── 施設で暮らしてもらうことは考えなかったのでしょうか? 岩佐さん:物忘れが始まったのは50代ということもあり、本人も施設に入ることを望んでいませんでした。50代なのでまだ体は元気で、同年代の人は施設にはなかなかいません。70~90代の方々と一緒に暮らすのはかわいそうかもと思いました。 病気の初期段階では、自分が今後忘れてしまうことを理解していることも本人には恐怖です。私の願いは母に幸せを感じてほしいということ。母を一番幸せにできるのは自分だと思っていたので、それならば私が介護しようと決意しました。
■心にゆとりがないと母も幸せじゃない ── 東京でのふたりでの生活はどうでしたか? 岩佐さん:大変だったのは母が急に行方不明になったときです。いわゆる、「徘徊」ですね。自分の家がわからないので、出ていってしまうと帰ってこられないんです。65歳の頃で世間的にはまだまだ元気な世代。ひとりで外を歩いていても不思議に思われることがないので、なかなか見つからないんです。 徘徊は3回ほどあり、警察にも捜索をお願いしたのですが、見つけてくれたのはすべてデイサービスの管理者の方でした。不思議なことに、長年の勘が働くのか、警察の方よりも早く見つけてくださいました。見つかったと聞いた瞬間、私は腰が抜けて動けなくなってしまい…。こんなに動けなくなることあるんだと思うくらい、心配でした。
── 2023年にお子さんも誕生しましたよね。介護、育児をこなすのは大変なのでは? 岩佐さん:産後は自分の体調も万全ではないので本当に大変。母の体位を変えるだけでもひと苦労でした。離乳食と介護食をいっしょにつくるのですが、どっちもトロトロしているので、どっちがどっちかわからなくなったり(笑)。 実は子どもが生まれる直前まで、母といっしょに父の介護もしていたんです。父は肝硬変や腎不全を患っていて食事などはヘルパーさんにお願いしていましたが、病院にいっしょに行ったりしていました。亡くなる直前に父から「体がしんどい」と連絡があったのに、私も臨月で体が辛く動けませんでした。母もデイサービスから帰ってくる時間だったので、会いに行かなかったんです。なので、それはとても心残りですね。