キビ、畜産業をけん引 息子2人はリーダー格に 与論島の原田一家
鹿児島県与論島の主要農産物はサトウキビと子牛。そんな島の2本柱を、けん引し続ける家族がいる。与論町朝戸の原田新一郎さん(68)、長男・諭さん(40)、次男・治彦さん(38)。息子2人は就農14~16年となり、それぞれの分野で島のリーダー格になった。 ■就農 新一郎さんはキビ農家の生まれ。23歳で就農した頃はキビ2ヘクタール、生産牛3頭。徐々に畜産に力を入れ、50歳ごろには生産牛25頭に。町和牛改良組合組合長時代の2005年、町の子牛・成牛販売額が10億円を突破した。 諭さんは与論高2年時に島で暮らし続けたいと思い、「なら牛飼いになろう」と鹿児島県立農大畜産学部肉用牛科へ。卒業後、県経済連実験農場で4年間働きながら学び、24歳で帰島、牛飼い業を継いだ。 治彦さんは福岡のデザイン系専門学校卒。福岡の飲食店で働いていたが、父の声掛けもあって兄と同じ24歳で帰島。初めは役場臨時職員と農業手伝い。新一郎さんがキビの作業受託組合を作って2010年、11年と収穫機械ハーベスター計2台を導入したのを機に、キビ専業となった。 17年夏に原田さん親子を取材し、断続的に掲載していた企画「島で働く」(8月13日付)で取り上げた。当時、新一郎さんは町農業委員会会長、叶自治公民館館長(区長)、あまみ農協与論事業本部さとうきび部会長。諭さんは町和牛改良組合青年部長。一家は生産牛30頭、飼料畑4・5ヘクタール。キビの自作地5ヘクタール、収穫作業の受託面積40ヘクタール。 新一郎さんはこう語った。「周りからぜいたくだと言われるけど、こうなるとは思わなかった。2人が子どもの頃には継がせるつもりはなかったからね」。そして「それぞれが経営者。自分が思うように思い切って突き進んでほしい」。 ■再訪 7年ぶりに原田家を訪ねた。息子2人は実家の隣に、それぞれ新居を構えていた。 諭さんは、新一郎さんが7年前、うれしそうに記者に漏らした良縁を実らせていた。相手は与論町の初代地域おこし協力隊の1人、静岡県出身の理恵子さん(43)。長男・哲新ちゃんは3歳。 治彦さんと同郷の妻・奈津美さん(32)の長男・情一郎君は11歳、長女・鈴華さんは8歳になった。次男・都夢ちゃんは4歳。 「2人の長男の名前をよく見てごらん。合わせて新一郎。どう、なんかいいだろう」と新一郎さん。 営農規模は右肩上がりとはいかないが、着実に前進していた。牛舎と倉庫は拡張され、大型機械類は更新されていた。 諭さんは生産牛36頭、飼料畑5ヘクタール。経産牛(出産を経験した雌牛)を肥育して商品化するヨロンアイランドビーフ事業を2年前に始めた。町和牛改良組合では副組合長を務める。 治彦さんはキビ自作地7ヘクタール。収穫期は季節雇用を含むチーム10人を率いる。23年産では、新一郎さんと手分けしてハーベスター2台で計56ヘクタールを収穫した。2年前から、町ハーベスター連絡協議会会長。 「繁殖経営と同時にアイランドビーフ事業を成長させたい。島のより幅広い農家や事業者との連携も進めたい」と諭さん。「キビ産業全般で従事者の高齢化が進んでいる。ハーベスターを操作するオペレーター育成は急がなければならない」と治彦さん。 現在、新一郎さんの公職は、きび部会長のみ。息子2人との関係は、変わらず営農サポーター兼アドバイザー。ただ、この7年でサポーター役が増えた。 「2人の今があるのは、本人たちの努力もあるが、それぞれの奥さんをはじめ周りの皆さんのおかげ。いろいろポンポンもの言うタイプだが、息子たちにはあまり口出ししないように務めている。我慢している。かあちゃん=妻・千枝子さん(66)=が『そうしたほうがいいんじゃない』って」 一家の屋敷は名勝・大金久海岸近くの、畑地帯にある。牛舎からは、天気が良ければ、干潮時に浮かび上がる百合ケ浜が見える。変わらぬ景色、音、香り。原田一家は、その守り手でもある。