【実録 竜戦士たちの10・8】(35)フロントトップからのV指令に「2位の次は1位」力強く答えた高木守道監督
◇長期連載【第2章 それぞれの再出発】 1994年1月5日。中日は名古屋市中区の「中日パレス」で年賀式を行った。 「昨年は最後まで優勝を争い、ファンは『よく頑張った』と言ってくれた。だが、それは一昨年(最下位)からみれば、よくやったと考えなければならない。2位が精いっぱいで今年は下がるか。昨年を踏み台にして上がるか。今後数年を考えても、今年は大事な年になる」 新年恒例の中山了球団社長のあいさつも、年頭の祝辞はそこそこに、強い口調で“V指令”が飛び出した。 年賀式には前日、旅行先のハワイから帰ったばかりの高木守道監督も出席。「2位の次は1位。今年は優勝しかないでしょう」。フロントトップのV指令に、こちらも力強く応えた。 新シーズンのスローガンとして発表したのが「PCS野球」。Preparation(準備)、Confidence(自信)、Success(成功)。準備が自信につながり、自信が成功をもたらす。 アメリカのスポーツ心理学で重要視され、秋のキャンプでも臨時投手コーチを務めたトム・ハウスがいつも口にしていた3つの言葉の頭文字をとったものだ。 この日は巨人も仕事始め。「原点を忘れず ただ挑戦あるのみ」との新スローガンも発表された。中日をはじめ横文字のスローガンが多い中、「原点」「挑戦」の2文字に、球団創設60周年を迎えた巨人の“思い”がにじんでいるようだった。 そして、巨人の年賀式に合わせたわけでもないだろうが、新たにチームの一員となった落合博満が「落合記念館」がある和歌山県太地町で自主トレをスタートさせた。87年の中日移籍後は16日か17日に動き出していたため、10日以上早い始動となった。 しかも例年なら、ひたすら歩くことが“オレ流”トレの第一段階となるのだが、この日は早朝7時に歩き出すと、記念館近くの太地中学校へ。落合の後を追ってきたユニホーム姿の小中学生28人に、自らバットを振りながら打撃指導を始めたのだ。 さらに記念館に戻ると、職員を相手にキャッチボールも。ただ歩くだけではなくバットを振り、ボールも握り…。まさに異例ずくめで、落合が巨人での、そして94年の第一歩を踏み出した。=敬称略
中日スポーツ