【宮崎祐樹連載#28】水口栄二さんの「初球からシバいてこい」精神で今でも記憶に残るあの同点弾
【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(28)】現役9年間の戦いの中で僕は岡田さん、森脇さん、福良さん、西村さんと4人の監督のもとで野球をしてきました。それぞれに特徴があり、全てが勉強にはなりました。前回は2017年の自分についてお話しさせていただきましたが、僕の現役生活はもうそこから2年しかありません。本当に野球選手の現役時代なんて一瞬です。 プロ8年目、18年で印象に残っているのは5月26日に行われたロッテ戦(ほっと神戸)ですね。1点を追う初回裏の第1打席で左越えに2号同点ソロを打ったんですね。 オリックスの先発は山岡泰輔投手でした。立ち上がりの1回表に1点を失った直後だったので、1番打者としていい仕事ができました。僕が駆け出し時代に水口栄二さんから伝授してもらった「初球からシバいてこい」の精神ですよ。ファーストストライクをしっかり捉えることができました。 ロッテの先発はボルシンガーでした。1ボールからの2球目の直球を左翼席に打ち返して、すぐさま試合を振り出しに戻しました。自分としては打球が上がり過ぎたかなとも思ったので、二塁まで全力で走ってましたね。その後も打線がうまくつながってくれて、二死一塁から小谷野栄一さん(阪神打撃コーチ)がタイムリー二塁打を打って勝ち越したんです。 このシーズン、僕は自己最多となるシーズン3本塁打を記録しました。自分で振り返っても15年から18年あたりが、選手として状態が良かった時期なのかと思います。でも、それでも18年は17年の52試合から出場数を伸ばせず33試合にとどまりました。 打率2割3分8厘、8打点の数字も前年を下回りました。それでも自分の中では打撃、守備とも手応えがありました。打率は低いんですが、1番打者としては出塁率(3割6分6厘)を意識していました。出場試合、打席数が少ない中で、出塁にこだわった結果が数字に反映されているとは思っています。 でも正直、もっと試合に出たかったですね。自分がチームの求める選手像にフィットしていない、使わざるを得ないくらいの結果を出していないから悪いんですが…。 12月5日には僕にとってはプロ野球選手として、最後の契約更改交渉を行っています。当時の記事を見返すと、現状維持の1800万円でサインした(金額は推定)と書いてあります。 福良監督の下、18年シーズンは4位という結果に終わりました。19年からは西村監督に交代することが決まりました。「監督が代わるということは新しい目で見てもらえるからチャンスだ」。という言葉は若手のためにあります。9年目の僕からすれば必死でアピールしなければなりません。 現実としてその18年オフにはエースとしてチームを支え続けてくれた金子千尋さん、明るいキャラでチームをもり立ててくれた中島宏之さんがオリックスを去りました。引退するわけではなかったですが、実績のある先輩たちが他球団に行ってしまう寂しさはありました。2人の言葉や行動に僕は何度も助けられましたから。 先輩がいなくなればより強く、自分たちがしっかりしなければと思うものです。大学、社会人を経てプロ9年目となればまあ30代の大人です。自分たちが結果を残してチームをけん引していかないという気持ちは強くなっていました。
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