主砲の故障で…恥ずかしかった珍代走 癪に触った敵捕手の“皮肉”「腹が立った」
岡村捕手の「人の不幸を喜んでいる場合じゃないだろ」に発奮
ホームインする際には阪急・岡村浩二捕手から「ホームランを打った気分はどうだ」とからかわれたという。伊勢氏はそのままジムタイルに代わって出場したが「次の打席の時には(岡村捕手に)『人の不幸を喜んでいる場合じゃないだろ』みたいなことを言われました」と明かす。「ちょっとむかっ腹が立った」と言い、その試合は3打数2安打1打点。5-5の8回には阪急・米田哲也投手から左翼席に決勝本塁打を放った。これは自身初の3試合連続アーチでもあった。 今度はホームランを放ってのダイヤモンド一周。この時は岡村捕手から「何も言われなかったと思います」。それまでの“口撃”への“お返し弾”でもあったわけだ。もっとも、この時に限らず、伊勢氏はここぞの場面での打棒発揮が目立ち、実に勝負強かった。当時の三原脩監督が「伊勢大明神」と名付けたのも、そういう理由からだ。「ピンチヒッターで行く時とかは『おい大明神、行くぞ』って言われましたね。自分は勝負強いとか全然そんな意識はなかったんですけどね」。 クリーンアップを打つこともあれば、代打での登場もあったプロ7年目。この年から背番号が「9」になった伊勢氏は105試合、280打数73安打の打率.261、16本塁打、53打点と大きく飛躍した。ジムタイルは65試合、86打数22安打の打率.256、8本塁打、16打点の成績を残し、その年限りで近鉄を去ったが、伊勢氏にとっては思い出深い助っ人のひとりだ。 その後、1991年6月18日の中日-横浜戦(ナゴヤ球場)で、中日・彦野利勝外野手が延長10回にサヨナラ本塁打を放った後に右膝を痛めて倒れ、山口幸司外野手が代走でホームインしたケースがあったが、ホームラン代走&決勝弾を記録したのは伊勢氏しかいない。
山口真司 / Shinji Yamaguchi