パトカーを圧倒した「窃盗団」の逃走車 世界最速だった4ドアサルーン ロータス・カールトン(1)
視界から消えていったグリーンのボディ
フォード・シエラ・コスワースが、自宅の車寄せへ突っ込む。ドスッ。顔面へパンチを食らったリチャード・オースティン氏は、地面に倒れ込む。クルマのセキュリティ・アラームが、周囲を威嚇し続ける。 【写真】世界最速だった4ドアサルーン ロータス・カールトン 最新5ドアの電動ロータスも (108枚) リチャードが気付いた時には、3・4人の男がロータス・カールトン(オメガ)を奪う寸前だった。立ち上がった彼は、妻へ叫ぶ。「警察に電話して。奴らを逃さねえ!」 まだ薄暗い、午前5時。英国では警察の宿直勤務の交代時間に当たり、対応が遅いことを窃盗団は理解していた。シエラ・コスワースでカールトンのリアバンパーが押され、自宅の前から移動されていく。 リチャードは、妻のルノー・エスパスへ飛び乗り追跡。すぐに愛車を発見するものの、犯人たちはキーなしでエンジンを始動させようとしていた。それが成功したら、ゲームオーバーに近かった。 ギャレット社製のT25ターボが2基組まれた、3.6L直列6気筒の最高出力は382ps。その大パワーを使われたら、ルノーのミニバンでは追いきれない。 次の瞬間、ヴォグゾール(オペル)・キャバリエが猛スピードで接近してくるのが見えた。彼は慌ててエスパスをバックさせるが、間に合わず。フロントへ衝突され、走行できない状態になった。 「目眩のなかで、カールトンのエンジン音が聞こえました。グリーンのボディが、視界から消えていったんです」。緊迫した当時の朝を、彼が振り返る。
賛否両論が渦巻いたロータス・カールトン
悲劇から1か月前の1993年10月、リチャードは英国の運転免許庁が開くナンバープレート・オークションに参加していた。狙いを定めたのは、「40 RA」のプレートだった。 「その時、自分は41歳でした。1つ違いますが、年齢に近いと思ったので」。入札が始まり、最高額を提示したのは彼だった。そのナンバープレートは、インペリアル・グリーンに塗られた、真新しいロータス・カールトンの前後へ貼られた。 「気に入っていて、ファミリーカーとして毎日のように乗っていました。盗まれるなんて、想像していませんでした。狙われている気配は、全然ありませんでしたからね」 ロータス・カールトンは、秀でた実力と裏腹に、新車時には賛否両論が渦巻いた。ベースになったのは、ファミリー・サルーンのヴォグゾール・カールトン GSi 3000。ロータスは、エンジンだけでなくボディにも大々的に手を加えたが、販売は伸び悩んだ。 そんな彼の愛車は、1993年11月25日に、グレートブリテン島中部のウスターシャー州にある自宅から盗まれた。カーセキュリティが不意に鳴り、寝ぼけた頭で外を見ると、数名の男の影が見えたという。 「クルマをいじっていることは、すぐに分かりました。突然の状況で、考えるより先に玄関へ向かっていましたね。クソ野郎、何してるんだ!って叫びながら」 無法者だから、暴力もいとわない。特別なカールトンを失っただけでなく、彼は顔にアザを作り、エスパスにも大きな被害を被った。