「引退選手に配慮して、わざと捕球しない」を美談にしてはいけない…プロ野球の「引退試合」に対する強い違和感
■なぜ引退を表明した選手が公式戦に出るのか ただMLBで引退表明をしたうえで、公式戦に出場する可能性があるのは、NPB以上にごく限られた選手だ。ジーターもオルティーズも野球殿堂入りした。イチローも殿堂入りが確実視されている(今年殿堂入り資格が生じる)。 そうではない大部分の選手は、契約年限が終わってFAとなり他球団からオファーがなければ自動的にリタイアすることになる。引退試合のような感傷的なイベントに出ることはできない。 常々筆者が思うのは、引退を表明した選手が公式戦に出る必要があるのか、ということだ。 今のプロ野球は、試合前にさまざまなイベントを行っている。引退する選手を主役にしたセレモニーをこうしたイベントとして組み込むことはできないのか。 そのセレモニーでは引退する選手は主役だ。長くライバル関係だった選手や、名勝負を演じた選手と1打席限りの勝負を演じれば、それでいいのではないか。 ■スポーツとしての前提が成り立たない もちろんそれは公式記録には残らないが、選手の功績をねぎらうにはそれで十分ではないのか。 「プロ野球はショービジネスなんだから」と言われそうだが、プロ野球がショービジネスとして成り立つのは「スポーツ、競技としての公平性、公正性が担保されている」のが前提だ。 情実で手心を加えているのではないか、という疑念が生じれば、スポーツとしての前提が成り立たなくなる。 大相撲では引退を表明した力士は以後、絶対に土俵に上がることはできない。相撲は命がけの真剣勝負であり、引退を表明して闘志を失ったものが上がる場所ではない、という考え方だ。 また八百長という言葉が大相撲由来の言葉であることからもわかるように、情実が混じった相撲は誤解を招きやすい。それを避ける意味でも大相撲は毅然としたルールを設けているのだ。
■NPBの回答は… 捕手が捕邪飛を捕らなかったプレーは、野球協約第18章 有害行為、第177条 (不正行為)に抵触しないか。筆者は、NPBに対して見解を聞いた。 NPB広報室は、「推測で書かれている記事の内容につきましては、お答えいたしかねます。」と回答した。 報道は「推測」だと断じた。率直に言えば、NPBもこうしたエスカレーションに困惑しているのではないかと思う。 メディアで今回のプレーを賛美しているのは、管見の限りでは、デイリースポーツと東京スポーツだけのようだ。他のメディアは事実関係を伝えはするが、故意落球まがいの行為を賛美してはいない。判断が難しい、微妙なプレーだと認識しているのではないか。 プロ野球関係者、アマチュア野球指導者、ライター仲間などに話を聞くと「あれは特別」と話す人がいた一方で「ちょっとやりすぎだよね」「子供に説明できない」という声もあった。 本来、スポーツとは明確なルールによって仕切られる白黒はっきりした世界のはずだ。そこにグレーゾーンを混入させるのは、良いこととは思えない。 引退する選手への「敬意の表し方」については、もっと深く考えるべきではないだろうか。 ---------- 広尾 晃(ひろお・こう) スポーツライター 1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。 ----------
スポーツライター 広尾 晃