吉沢悠さん(46)突然の活動休止、留学を経て気づいた「舞台に立てることは当たり前ではない」|STORY
役者としての”コア”を探すため、活動休止してニューヨークへ
デビュー以降はコンスタントに仕事をし続けて、19歳から20代半ばまでは本当にたくさんの現場に立たせていただいたんです。ただずっと、演技のベースとなる、自分の中の核となるものが定まらないまま、次から次へとインプットとアウトプットを繰り返している状況でした。20代半ばって、もう十分大人だけどまだ成熟し切れていない年齢で、冷静に自分の状況を把握できずに考え込みすぎちゃったんですよ。だから一旦、自分の足元を見つめ直してみたいと思ったんです。同じ環境にいるとどうしても視野が狭くなってしまうので、誰も自分のことを知らない場所に身を置いて、違った角度から見つめ直してみたかった。クリアになって冷静になるには日本を出るのが一番だと思い、半年間活動を休止して、海外に留学することを決意しました。 留学先でも演劇に触れていたかったので、最先端のエンターテイメントが観られるニューヨーク.へ。何かツテやコネがあったわけでもなく、自分で語学学校を探して寮生活をスタートしました。当たり前ですが、ニューヨークは人種や文化、宗教が本当に多様で、様々な思いをもった人たちが1つの空間に共存している街。だから街中が活気に溢れているし、新鮮なエネルギーが循環していてすごく刺激的でした。 多様性がベースにあるからこそ、いい意味で誰が何をしていようが「自分は自分」と割り切っている人たちが沢山いたんですよね。「俳優・吉沢悠でいなきゃ」と思い詰めて、妙にプレッシャーをかけていた自分を「小さかなったな…」と思えるようになりました。
ニューヨークで気づくことのできた、「表現者でいたい」という思い
留学するまでは常に俳優として見られていたけれど、ニューヨークに来れば誰も僕のことなんか知らなくて、一学生でしかないわけです。日本にいた時はやっぱり、俳優・吉沢悠としていつでもスイッチを入れられる状態だったんだと改めて気づいて。何の肩書きもなく1人の人間として暮らすことで、肩の力を抜いて自分を緩めることができた。フラットな状態になり素の自分に戻れたことが、ニューヨークで得られた一番大きな変化だったかもしれません。 そして現地では演技についても学びたかったので、観客として色々な舞台に足を運びました。エンターテイメントの本場で活躍する俳優たちの演技に圧倒されながらも、舞台を観て冷静に「なぜ僕は今、あっち側にいないんだろう」と違和感を感じている自分がいたんです。「自分は表現者でいたい」という素直な気持ちに気づいた瞬間でした。 帰国後すぐに映画の撮影が入っていたのですが、リハーサルでカメラと大勢のスタッフの前にポツンと立たされたときに「ここに立っていられるのは、当たり前のことではないんだ」と改めて実感。この居場所を大切にして、感謝しなければいけないという思いが溢れました。ニューヨークに行って立ち止まることがなければ、一生気づけなかったか、気づくのが遅れていたかもしれません。そこからは、役者一本でとにかく邁進しようと覚悟が決まりました。