「2年生存率0%」から回復 “命のマガジン”編集長が語る、がん克服者の「7つの共通点」
3.喜びの中に生きる
2005年、53歳のときにステージ4のスキルス胃がんに罹患した松野三枝子さん(70)は入院時にがんは肺まで転移し、体重はわずか30kgほどだった。 入院した病院は宮城県・南三陸町にあり、闘病中に東日本大震災が起きて被災。津波が病棟まで押し寄せるも、九死に一生を得た経験から、生き方が一変したという。 「目の前で濁流に人がのみ込まれていく様を見て、松野さんは自分は生かされたのだから誰かの役に立ちたいと思ったそうで、治療中にもかかわらず避難所で炊き出しを始めた。温かいご飯を届けたい一心で働き続ける。 炊き出しに多くの人が感激し、それが松野さん自身の喜びや生きがいにつながっていたのでしょう。そうした気持ちが関係したのかどうかはわかりませんが、がんは数か月後に消失したそうです」 特別な治療をまったく行っていなかった松野さんだが奇跡的な回復をみせた。 4.がんにプラスの意味づけを 2007年、31歳で悪性度の高い成人T細胞白血病と診断された高原和也さん(48)も、病気になったからこそわかった感情があったという。 「抗がん剤治療に骨髄移植、放射線治療にとどまらず、サプリメントや高濃度ビタミンC点滴療法、プラセンタ療法、ラジウム鉱石の温熱岩盤ドームや、ANK免疫細胞療法といったあらゆる治療を試み、大きな心境の変化と2週間の断食などを経て腫瘍が消えた高原さん。 この経験を活かし現在はセラピストとして人々の健康をサポートしています。彼はがんに罹患して味わった喜びも怒りも悲しみも、ただ自分を見つめ直すためだったと言っているんです」
5.治療法を自分で決める
2013年のときに原発不明がんが判明後、再発を繰り返し2015年4月には余命3か月と診断された櫻井英代さん(60)。 笑いと深呼吸を組み合わせた“笑いヨガ”というイベントに車椅子で参加し、そこで出会った仲間たちに励まされ生きようと決める。身体へのダメージが大きいと医師が反対した抗がん剤治療を願い出て、受ける回数も自分の身体と相談し決めていく。 ほかにもハスミワクチンによる免疫療法、腹水を取るための生姜湿布や里芋湿布、波動療法やジブリッシュという、意味のない言葉に感情を乗せて吐き出す行為で抑圧感情を解放した。食事にも気を配り、今では主治医から治療をすすめられることもなくなった。 「がん生還者は医師から言われるままでなく、自分で治療を決めた人が多い印象。大切なのは“どう治すか”の前に“どう生きるか”ということ。治療による苦痛を回避して今を充実させたい人、家族と1日でも長く過ごしたいから完治したい人、その人の人生観そのものを治療に反映させるべきでしょう」 6.「生かされていること」に感謝 カリフォルニア大学のロバート・エモンズ教授の研究では、感謝を示すことで免疫が活性化し、痛みへの耐性が高まることが証明されている。 また脳科学者の西剛志(たけゆき)氏によると、脳にとって最高の言葉は“ありがとう”だそうで、マラソン選手が心の中でありがとうと呟くとタイムが伸びたという実験結果もあるほど。 「インタビューでは、どの方からも必ず感謝の言葉が出てきます。2008年に子宮頸がんに罹患した白駒妃登美さん(59)は、抗がん剤治療を受ける際、それを開発した研究者にまで思いを馳せて、ありがとうと言いながら治療を受けた。ご本人いわく、看護師さんが驚くほど、副作用は軽かったそう」