Ken Yokoyama、大いに語る 「普遍的なこと」を歌うようになった理由
「老い」について感じること
―それにしても、Ken Yokoyamaとしての活動をはじめた当初、まさか20年も続くなんて想像もしませんでしたね。 KEN ね。まあ、このバンドは始まりが始まりだったからね。これまでも散々話してきたことだけど、1stの『The Cost of My Freedom』っていうのは俺の極めてパーソナルな作品だったはずなんだよ。ライブをするかどうかすらもわからない中でつくったんだけど、せっかくアルバムという形をつくったならツアーの1本ぐらいしたいなと思って作ったのがKEN BANDで……そのときはKEN BANDなんて名前は付いてないんだけど。そこからまた色々考えがあって、2ndアルバムはバンドのメンバーとつくりたいと思って、 Ken Yokoyamaって名前ではあるけれども、「バンドとして活動していこう」っていう意識が芽生えはじめたんだよね。 ―その頃から「オジー・オズボーンみたいなもんだ」って言ってましたよね。 KEN そう。ただ、そこは未だに皆さんがぱっと理解するには難しいところなんだけどね(笑)。あのタイミングで<なんとかズ>みたいな名前付けときゃよかったな。 ―俺も時々、横山さんがアーティスト名をどうしようか悩んでいたときのことを思い出しますよ。 KEN あのときにいいアイデアが出てればな。 ―でも、当時は先が何も見えない状態だったし、横山健という名前から離れることはできなかったんじゃないかと思うんですよね。 KEN まあ、確かに。 ―でも、そんなところから20年も活動が続いて、そのなかで歌う内容も変わってきて、特に今回のシングルシリーズが始まってからの歌詞が俺はすごく好きなんですよ。これまではいろんな表現でコーティングしている感じでしたけど、ここでは教訓めいたことをストレートに伝えるようになりましたよね。 KEN その要因はいくつか考えられるけど……今回のシングル3枚は今年の2月に レコーディングしたんだけど、歌詞を書いたのは去年の11月ぐらいから今年1月ぐらいまでの間で、 その時期がちょうどこういうモードだったと言える。 ―なるほど。 KEN コロナをきっかけに生活様式が変わって、世の中にものすごい閉塞感が漂ったじゃない? そこから抜け切ろうとしてた頃、俺の気分的には意外と内に引きこもってたのかなっていう解釈をしてたりする。だって、そういう内容しか頭に浮かんでこなかったからさ。だから、「今回は敢えてこういうことを書こう」って狙いは特になかったのね。なんなら「何について書きゃいいんだよ!」って悩んでたぐらいでさ。スタジオでメンバーに「これまで百何曲も書いてきてこれ以上言いたいことなんかねえよ!」とかぼやいたりね(笑)。 ―あはは! KEN でも不思議なのは、コロナ禍につくった『4Wheels 9Lives』にはコロナ禍の影響があまり出てないんだよね。 ―そうなんですよ。 KEN あともうひとつ考えられるのは、俺、離婚して再婚して、2021年に自分にとって3人目の子供が生まれたのね。 ―はい。 KEN で、この歌詞を書いてた頃はまだ2歳にもなってない赤ちゃんだったわけ。そういうちっちゃい赤ちゃんとその母親と俺の3人で生活してるなかで見えてきたのが案外こういうことだったりしたのかな。 ―見方によってはちょっと遺言めいてますよね。 KEN うん、そう。3つ目の要因っていうのがまさにそれで、自分の加齢なんだよね。世の中的にも、これまで死ぬなんて思ってもなかった人がぽこっと死んじゃったりして、自分も50を過ぎて普通に病気をする歳になってきてさ、生きたくても生きられない人も普通に出てくる年齢じゃない? ―そうですね。 Kne で、鏡を見ると毎日老けていく自分がいるわけ。毎日「老けた老けた」言ってさ。あとは体が動かなくなったり、気力が追いつかなくなったり、「年食ったな」っていうのは常に感じるの。もちろん、ベテランとしての経験とかスキルでしのげる場面もいっぱいあるけれども、生命体としてちょっと古くなってきてる寂しさを感じざるを得ないというかさ。「あれ? 俺、この前まですっげえ夜中まで遊び回って元気なはずじゃなかった?」って。 ―うんうん。 KEN ちょっと話は長くなっちゃったけど、とにかくそうやって自分が老いてきたな、いくつまでできるかなっていうことを日に日に現実的に考えるようになって、そういうことも歌詞の温度につながってるかもしれない。