江戸時代の茶亭 名古屋城で移築進む
名古屋城二之丸庭園の東庭園で今、江戸時代にあった茶亭「余芳(よほう)」の移築再建工事が進められている。江戸時代後期の造営とされる4畳半1室という小ぶりな茶亭。かつての藩主らが利用したという建造物が、再び日の目を見ようとしている。
かつては6か所あった茶亭
尾張藩主が政務を執った二之丸御殿の北側に造られた同庭園には、6か所の茶亭があったと伝えられる。 回遊式の典型的な大名庭園だが、異例なのは茶亭内部に障壁画が存在していたことだ。取り入れたのは、多芸多趣味の藩主として知られる第10代藩主の徳川斉朝。画家には、御用絵師の狩野派ではなく、無名の新人画家を登用していたという。 名古屋城調査研究センターの朝日美砂子さんは、6か所あった茶亭について「藩主が家臣に対して酒食をふるまうなど、茶を飲むだけでなく多目的な場所だったとみられる」と説明する。 センターの最新の研究によると、一部の茶亭は明治初期に入札が行われ、城外に出たため、名古屋空襲の難を逃れた。このうち、余芳は、名古屋市内の個人宅に移築され、1973年に市指定文化財となった。2011年に解体された後、市が用材の寄贈を受け、その後は名古屋城内でひっそりと保管されていた。
12月には建物が完成
22年3月、二之丸庭園の整備計画ができ、移築再建が明記されたことで、昨秋から工事が始まった。今年12月には建物が完成する予定だ。周辺整備は続くものの、江戸時代当時の姿を近く、拝見できそうだ。 余芳のほかにも、名古屋市西区には6か所の茶亭のうちの一つ「風信亭」(市指定文化財)が残るほか、障壁画も複数あることが確認されている。 名古屋城外では今も江戸時代当時の建造物や障壁画がいくつも確認されている。朝日さんは「庭園の茶亭が障壁画も含め複数現存する城郭は、日本中で名古屋城しかなく、極めて貴重だ。今後も城に関係する文化財の情報を集め、次世代につなげたい」と話している。