映画で描かれた“原爆の父”オッペンハイマーの葛藤 「もう二度と核兵器を…」孫が語る祖父の願い
■“放射線被害を隠ぺい” 軍の圧力
その後、祖父のノーラン医師は、原爆投下直後の1945年9月、アメリカの調査団の一員として広島と長崎へ。自身が警告していた放射線の影響に苦しむ被爆者を目の当たりにしました。 祖父がマンハッタン計画に参加・ノーラン教授 「祖父は“日本での事は話せない”としながらも、“想像すらできないような、完全な惨状だった”と話しました」 現地調査の後もアメリカ軍は、放射線の影響を軽視。社会学者であるノーラン・ジュニア教授は、祖父の資料などをもとに一連の経緯を検証し、医師たちは軍の圧力を受け、放射線被害を隠ぺいする動きに組み込まれていったと分析します。
■技術を使うべきと「必ずしも考えてはいけない」
その上で、映画をきっかけに、核廃絶の必要性だけでなく、AIなどの新たな技術がもたらす「負の側面」についても考えて欲しいと話します。 祖父がマンハッタン計画に参加・ノーラン教授 「マンハッタン計画は、新たな技術に関する教訓、つまりその長期的な影響や、意図せぬ影響を考えるよう我々に促しています。技術を持っているなら使うべきだ、と必ずしも考えてはいけないのです」