『万博』でにぎわった吹田は「アサヒビール」発祥の地 昭和の空気残る商店街をぶらり【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】
当時の万博会場では、累計約4万8000人が迷子になったそうです。迷子対策に「迷子ワッペン」というものが作られていました。 さらに商店街の中を歩いてみると、和菓子屋さんがありました。
【兵動さん】「こんにちは。松月堂さん、和菓子(のお店)やね。これ1970年の写真なんです」 【お店の人】「これ、パラダイスって書いてますね。パチンコ屋さんかな。昔あったんですよ」
昔、駅前に「パラダイス」というパチンコ店があったことを覚えていました。そして…。
【お店の人】「多分これね、駅がずれたんじゃないですか。こっち側になっているでしょ、今。昔なんか聞いたことあります」
昔の吹田駅の駅舎は、1979年の駅前再開発の際に位置が少しずれて、駅ビルを含む商業施設「吹田さんくす」としてオープンしたのです。
■意外と万博会場からは遠かった?
昔の話はこの商店街の理事長が詳しいそうなので、話を聞いてみます。 【兵動さん】「鳩の銅像みたいなのが、ずれた所にあるような気がして」 【新旭町通商店街 理事長 野田和生さん】「駅前を触りましたからね、だいぶ。ちょっと動いていますね」
この「平和の塔」は1960年に国鉄吹田駅前に建てられましたが、駅前再開発の際に一時的に撤去され、1980年、現在の位置に移設されたのです。
それでは、撮影場所はどこなのでしょうか? 【兵動さん】「(写真に)“EXPO70”って書いてある。吹田やから、万博にすぐ行けるから盛り上がったんですか?」 【新旭町通商店街 理事長 野田和生さん】「盛り上がったんですけど、すぐは行けないんです」 【兵動さん】「吹田イコール万博じゃないですか?」 【新旭町通商店街 理事長 野田和生さん】「でもちょっと行きにくいんですよね。(JR)千里丘(駅)とか、(JR)茨木(駅)とかの方が万博の会場には近かったです」
【兵動さん】「そこにアサヒ(ビール吹田工場)さんがあったでしょ」 【新旭町通商店街 理事長 野田和生さん】「ずっとあります。百何十年あります」