大相撲の中村部屋の「1日3食」 慣習にとらわれない試みは冒険か
【ベテラン記者コラム】大相撲の新設された中村部屋が名古屋場所(14日初日、ドルフィンズアリーナ)で、初めての本場所を迎える。6月1日付で二所ノ関部屋から独立した師匠の中村親方(42)=元関脇嘉風=をはじめ、転籍した8人の力士にとっては力の入る初陣となる。 【写真】二所ノ関部屋から独立し、名古屋場所から本場所を迎える中村親方 4月に閉鎖された東京・墨田区の旧陸奥部屋の建物へ稽古場を構えた新生部屋は、場所前から独自の取り組みを前面に打ち出した。大相撲の稽古は通常、「朝稽古」といわれ早朝から始まるが、同親方は既成概念にとらわれず、稽古始めは午後3時間半から実施した。 ある日の午前中は部屋近くの隅田川の護岸へ向かい、力士はTシャツ姿で瞬発力や俊敏性を養うトレーニング。昼食を挟んだ午後には部屋で相撲を取る稽古と午前、午後の2部構成で汗を流した。階上にはトレーニング室や疲労回復に効果があるといわれる酸素カプセルも設置。週2度の休養日も設けられた。 「環境は整えた。あとは自分のかたちも出していく。このやり方で負けたら自分の責任。批判もあるだろうが、挑戦と失敗、スクラップ&ビルド。結果が出るまでやり続けたい」 独自路線を貫く覚悟をみせる師匠はさらに、生活形態にも手をつけた。多くの相撲部屋では朝稽古後の1日2食が慣例だが、中村部屋では朝7時に朝食を設けて1日3食を取る。 現代の食事は朝、昼、夜の3食が基本となっているが、江戸時代初期の生活は1日2食が一般的だったことが多くの文献でわかる。朝食は現在の午前8時、夕食は午後5時ごろで貞享(じょうきょう)、元禄年間のころから夜食が加わり「あさげ」「ゆうげ」「よるげ」になったといわれている。もともと公家の生活も朝食を昼ごろ、夕食は夕方に取った。照明用の油を節制していた庶民は日の出とともに起きてひと仕事終えた後、現在でいう朝飯、仕事の合間に遅い昼飯となっていたという。 身分にかかわらず、1日2食の風儀が大相撲の朝稽古として残ったともいえる。運動生理学、スポーツ科学、栄養学などが進歩するなかで、1日2食が連綿と続くキーワードは、いまも昔も「太る」からだろう。摂取するカロリーが消費カロリーよりも多ければ、消費できなかったカロリーは脂肪として体内に蓄積されて、太るという簡単なメカニズムだ。 摂取した食べものが体内で吸収されると血糖値が上昇。血糖値を下げるためにすい臓からインスリンが分泌され、そのインスリンが血糖値を下げる過程で血液中の糖を脂肪にかえる。朝稽古後の空腹時には体内に栄養素を吸収しようとするため1回の食事量はどうしても増える。そして、炭水化物を大量に摂取するとインスリンが過剰分泌され、糖を脂肪として蓄積する働きに拍車がかかるのだ。