松本清張、ベトナム戦争下のアヘン密売の実態を暴き描いた『象の白い脚』
清張には見えていた フィクションの中にベトナム戦争下のアヘン売買の実態を暴き、描く
この小説が連載された以前においても、CIAの工作員たちが、ラオス王国の親米政権を支えるために様々な工作を行っていることなどは、すでに報告されていた。またラオス王国政府軍の高官たちがアヘン売買に手を出していることも、この小説が連載されていた当時においても、薄々とは知られていることであった。 しかし、その実態が表立って明らかにされたのは、この小説の連載が終了して後の1971年5月に公表された、米下院外交委員会麻薬調査団の報告によってであった。その報告は、「ラオス政府軍高官が麻薬売買に一役買っている」、というものであった。ラオス王国政府軍の高官による麻薬売買やさらには援助資金の横領についても、実は米国政府はその事実を掴(つか)んでいたのだが、この小説で語られているように、米国政府はラオスが「「反米的」になって共産主義に傾」くことを恐れていたため、見て見ぬ振りをしていたのである。そればかりでなく、CIAはチャーター航空の「エア・アメリカ」を使ってアヘン空輸の手助けまでしていたのである。 これらのことは、原著が1972年に出版された、アルフレッド・W・マッコイ著の『ヘロイン 東南アジアの麻薬政治学』上・下(堀たお子訳、サイマル出版会、1974)などで詳細に明らかにされたことであるが、松本清張はラオスにおけるアヘン売買、それについてのCIAの関与などを、『象の白い脚』というフィクションにおいて驚くべき精確さで描いていたのである。清張は1968年3月と翌1969年5月の2回ほどラオスに行っている。とくに2度目が小説の取材目的で行ったようなのだが、そこでの見聞や体験が小説中に活かされていて、小説はリアリティーのあるものになっている。『象の白い脚』の物語の大枠は、清張の想像力によって設定されながらも、細部の出来事や事実は実際の体験から取られているのである。 米国がラオスにおける麻薬密売や援助資金の横領などを黙認しただけではなく、協力するところさえあったのは、要するにその反共政策を遂行するためであった。それは戦後の日本を〈対共産圏の防波堤〉にすることを米国の極東戦略の要(かなめ)にした構図と相似であった。『日本の黒い霧』でそのことを暴(あば)いた清張にとって、「ラオスの黒い霧」は容易に眼に見えてくるものであったであろう。『像の白い脚』はその暴きの国際版であったとも言える。 ちなみに『象の白い脚』の題名の「象」は、ラオスが〈百万の象〉という意味なのでそれから採られたものである。「白い」は、ビエンチャンが〈百檀の都〉という意味なのでそれから採られたか、あるいはアヘンの白い粉のイメージから来るものかも知れない。後者となると、ラオスはアヘンを「脚」にして立っている国だ、という意味になる。おそらく清張は、後者の意味を強調したかったと思われる。 『象の白い脚』は、不正・汚職が蔓延(まんえん)していたラオスの、その首都ビエンチャンの頽廃(たいはい)した雰囲気もよく描かれている、読み応えのあるサスペンスである。 (ノートルダム清心女子大学文学部・教授 綾目広治)