「府中に行ったら、タクシーの運転手だって知ってるよ!」“懐かしの名場面”化した、丹波哲郎の愛人騒動とは?
---------- 『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』『人間革命』など大作映画に主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」と言われた、大俳優・丹波哲郎。 そんな丹波が、「霊界の宣伝マン」を自称し、中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。 数々の名作ノンフィクションを発表してきた筆者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑む。丹波哲郎が抱えた、誰にも言えない「闇」とはなんだったのか――『丹波哲郎 見事な生涯』より連載形式で一部をご紹介。 ---------- 「誰にもいっちゃダメだよ」丹波哲郎の子を生んだ美人女優
E子さんと隠し子
“大霊界ブーム”が巻き起こった1989年(平成元年)1月、丹波はNHKの大河ドラマ『春日局』に徳川家康役で登場し、貫禄の演技を披露した。 司会をつとめる深夜番組の『丹波倶樂部』も始まり、単発もののドラマとバラエティー番組やコマーシャルも相俟って、テレビで丹波の顔を見かけない日はほとんどないかのような毎日が続いた。 来世研究会の活動も、一段と盛り上がりを見せた。完成を待ちわびた「丹波哲郎の瞑想の館」が、『大霊界』のロケ地にもなった岐阜県の洞戸村にようやく竣工し、開館式のテープカットには、一時退院を許可された東島邦子も笑顔で加わった。三階建ての、どこかぎくしゃくした積み木細工のような館を見上げて、丹波は、「森の精気が感じられるこの地に、わが来世研究会のシンボルが誕生しました」と高らかに宣言した。『丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!! 』(以下『大霊界2』と略)の制作発表も、カメラの放列を前に華々しく挙行された。私生活でも慶事があった。前年に元・女優の田中久美と結婚した義隆に長男が生まれ、初孫に恵まれた。 公私とも絶好調の波に乗っているかに見えた6月初め、女性週刊誌に、「本誌独占スクープ! 霊界の宣伝マン丹波哲郎(66) 愛人との間に隠し子(14)がいた!」(『女性自身』1989年6月20日号)と題する特集記事が掲載される。 記事によると、丹波は新東宝に所属していた30代後半のころ、15歳(実際には16歳)年下の「E子さん」という若手女優と恋仲になり、彼女が芸能界を引退したあとも、ひそかに交際を続けてきたという。 E子さんは、丹波との出会いから20年近くの歳月を経た1974年11月、男児を産む。E子さんは36歳、丹波は52歳になっていた。丹波はすぐに実子と認知し、その子が中学2年生になる今日まで母子の暮らしを支えてきたが、記事には「これについて丹波哲郎は何も語ろうとはしない」とある。自宅から出てきたE子さんは、記者にこう答えている。 「息子はこのことを知っています。でも、いまが大事な時期なので、息子だけはそっとしておいてほしいんです。私は自分のことですから、どうなってもかまいません。ただ、あちら(丹波家)のことを考えると、やはり、このままそっとしておいていただけたらと……」(括弧内は原文のまま) この女性週刊誌は22年前にも、「あえて語る…丹波哲郎が“2人妻”を持つ事情」(『女性自身』1967年11月6日号)と題する記事を載せていたから、スキャンダルの蒸し返しとも言える。その7年後に、E子さんは出産したことになる。 大霊界ブームで“時の人”となっていた丹波の「愛人・隠し子騒動」に、芸能マスコミはここぞとばかりに飛びついた。