人の助けが必要な“弱いロボット”とは? 相手に弱さを見せることで生まれる関係づくり
筆者の口癖は「大丈夫です」だ。大丈夫、なんとかなる、なんとかする、なんとかしなきゃ。そう自分に言い聞かせてこれまでやってきた。 【写真】私たちにコミュニケーションの在り方を提示してくれる“弱いロボット”たち ときどき友達に愚痴を聞いてもらったりもするがそれはただの愚痴にすぎず、結局自分でなんとかするしかない、と気合いを入れるための儀式みたいなものだ。そうして“大丈夫じゃない大丈夫”が積み重なって爆発してしまうのだから、どうしようもない。 いつから「助けてほしい」「力を貸して欲しい」という言葉は、こんなに言えなくなってしまったのだろう。 今回は、そんな弱さの開示によって、忘れていた温かさを思い出させてくれるロボットについてインタビューをした。話を聞いたのは、豊橋技術科学大学・岡田美智男教授。弱いロボットを開発するまでに至った経緯や、弱いロボットが私たち人間に教えてくれたことについて語ってもらった。 ・弱いロボットとはなんなのか? 岡田美智男(以下、岡田):まず、ロボットに対してどんなイメージを持っていますか? ーー私たちの暮らしを便利にしてくれてたり、工場などで人間の代わりに働いてくれる存在ですかね……? 岡田:そうですよね。一方で私たちが開発している弱いロボットは、人とロボットとの間でお互いの弱いところを補いつつ、強いところを引き出しあうような、持ちつ持たれつの関係を志向するという特徴があります。ロボットでありながら、できないこと、助けてもらわなければいけないことがあるんです。 ただ、身近な場所で活躍しているロボットにも、こういった“弱い”部分はあるんですよ。たとえば、レストランにいる配膳ロボットは私たちに料理を運んでくれますが、私たちはロボットが通るための道をあけてあげたり、届いた料理を手で受け取ってあげたりします。 ーーたしかに、私たちも手伝っていますね。 岡田:お掃除ロボットのルンバもそうです。いまは高性能なタイプも販売されていますが、初期のモデルは、まっすぐ進んで壁にぶつかると方向を変える、そんなことを繰り返すだけのロボットでした。私たちはその様子を見て、つまずかないようにケーブルをまとめてあげたり、椅子を避けたり、倒れたら起こしてあげたりします。そして気づけば一緒に部屋を綺麗にしているんですよ。 ーー便利なロボットにも、“弱さ”を抱えている部分があるんですね。岡田さんがその“弱さ”に注目したのは、いつごろなのでしょうか? ・不完全さが生み出す関係性 岡田:はじまりは27、8年前ですね。弱いロボットをつくる、というよりは、不完全さから生まれるコミュニケーションのおもしろさに着目したのがきっかけです。 最初は、ロボット同士で雑談ができないかということを研究していました。雑談というのは、完結した言葉を相手にぶつけても成立しないんですよ。発話の意味が不完全なまま相手に委ねながら、その言葉の意味を相手にも支えてもらう。そんな風にして、相手との関係性の中で雑談を生み出していくんです。 わかりやすく言うと、ボケとツッコミみたいなものですね。相手がツッコんでくれないとボケにはなりません。ボケは放り出した時点では不完全なんです。ツッコんでくれて、初めてボケとしての意味を成します。 これは言葉に限ったことではありません。ヒューマノイドロボットの『ASIMO』は、歩くときに自分の身体を半分地面に委ねて、地面から押し返してもらうんです。どう押し返してもらえるかはわからないけど、とりあえず一歩を踏み出してみる。その不完全さが、結果的にスムーズな二足歩行を生み出しているんです。 ーー最初に開発した弱いロボットは、どんなものだったのでしょうか? 岡田:最初に開発したのはゴミ箱ロボットの『Sociable Trash Box』です。2005年に開催された『愛・地球博』での展示を目標に開発しました。このロボットは自分でゴミを拾うことができません。周りの人たちに助けてもらうことで、結果的にゴミを拾い集めることができます。ただ、当時はもう少し未来志向のロボットを求められていたというのもあり、展示は叶いませんでした。でも、人の手を借りることで問題解決ができ、私たちも嬉しい気持ちになるという現象がおもしろいなと感じて、弱いロボットの研究を進めてきたんです。 ーー2022年には、「あわわ……」と呟くロボットもSNSでかなり話題になっていましたね。 岡田:このロボットは『PoKeBo Cube』と言います。『PoKeBo Cube』の開発は、『i-Bones』という、ティッシュを配ろうとするロボットから派生的に生まれたものです。『i-Bones』は一生懸命ティッシュを配ろうとするのですが、そこを通り過ぎる人に合わせてティッシュを配る動きは意外にも難しくて、その仕草がもじもじしているように見えたんです。このもじもじしながらも一生懸命やろうとする姿から、つくられたものではない“自然な弱さ”を見つけることができたんです。 ・私たちはすでに弱さを持っている ーー弱いロボットの“弱さ”は、どのようにして表現しているのでしょうか? 岡田:なかなか難しいですよね。弱さをつくり込もうとすると、あざとくなってしまうんです。そもそも僕らは弱さを設計段階では考えていないんです。わざわざ設計しなくても、原理的に不完全なことって実はたくさんあるんですよ。たとえば相手に「こんにちは」と言ったとしても、相手が「こんにちは」と返してくれる保証はありません。返事をしてくれなかったら、こちらが言った「こんにちは」は意味を成さなくなります。その意味で、はじめから「弱さ」や「不完全さ」を抱え込んでいるようなんです。 また、相手が無表情だったりすると、どんなタイミングで話したらいいのか、どんな言葉を選んだらいいかわかりません。ただ会話をしていくうちに、自分でタイミングや言葉の選択ができるようになっていきます。言葉を話すとき、私たちは相手の表情や仕草を手がかりにしているんです。 ーー私たちが持つ不完全さは、言葉以外にもあるのでしょうか。 岡田:もちろん、身体的にも私たちは不完全さをすでに持っています。先ほどの『ASIMO』の話にもありましたが、歩くという行為も、どうなるかわからないけど一歩目を踏み出す瞬間が必要です。このように私たちの行動のなかには、常に脆弱性が付きまとっています。それは私たちの身体が、ある種の不完全さを持っているからなんです。 たとえば、自分の顔って自分では見えないですよね。ただ、相手の表情を手がかりに自分はいまどんな顔をしているのかを考えることができる。周りの手助けを上手に引き出して、自分がいまどんな表情で話してるかを把握しているんです。このように私たちは、自身の不完全さを相手に委ねることで補っているんです。 ーーなるほど。すでに私たちは、弱さや不完全さを抱えているんですね。 ーーちなみに、なぜ岡田さんたちの開発する弱いロボットは人型ではないのでしょうか? 人型の方が、弱いロボットがどんなことに困っているのかなどがわかりやすいと思うのですが。 岡田:理由は2つあります。ひとつは、人型にしてしまうと人間のような能力や機能を持っているのではないかと、期待してしまうからです。最初から何もできないだろうと判断していたら、予想以上の反応があったときに嬉しいと感じますよね。これを、「期待値のコントロール」と言います。 もうひとつは、見た目が明確すぎると、相手に意味を押し付けてしまうことになるからです。私たちが開発しているロボットの見た目はとてもシンプルで、表情などがありません。話しているうちになんとなく、「ここが顔か」「じゃあここが背中かな?」と僕らが積極的に解釈に参加することができて、納得感も強くなるんです。 岡田:高性能すぎたり、相手に期待を持ち過ぎたりしてしまうと、僕らが関わる余地がなくなってしまいます。そうなると相手と距離が生まれ、共感性が失われていく。できるだろうと思っていたことができなかったときに、「どうしてできないんだ」「もっとこうして欲しい」と、要求水準がエスカレートしてしまうんですよね。 ーーこれは……人間関係でも同じことが言えますよね。 岡田:そうですね。私たちは「なんでもひとりでできるようになるんだよ」と言われて育てられているし、自立した行動をするために頑張ってしまいます。ときには人に対して厳しくなってしまうこともある。でも、自分の弱さが相手の強みを引き出すこともあるんです。弱さを見せることで、関わりが生まれることもあるんですよ。 最近では人工知能が発達し、ChatGPTがなんでも答えてくれますよね。でも、必要としているのは私たちだけで、向こうはあまりこちらの存在をあてにしていない。それは一方的な関係性なんです。こちらの力を必要としている方が、一緒になって何かを成し遂げる関係性が生まれると考えています。 ・ロボットと人間の共生と隷属 ーー人工知能のお話もありましたが、最近のロボットの成長は目覚ましいものがありますよね。 岡田:最初、ロボットは道具のひとつというか、暮らしを便利にしてくれる存在だったと思うのですが、最近はロボットの自律性がどんどん高まっていますよね。自動運転システムなどもそうですが、僕らの思考までもアウトソーシングしようとしてしまいます。ただそうなると、いつの間にか私たちはロボットに隷属するような状態になっているのではないかと感じています。 利便性の高いものや、相手のために動くサービスロボットというのは、私たちの本来持っている主体性や創造性を奪ってしまう側面もあります。利便性が必ずしも幸福感につながるとは限らないのではないでしょうか。 ーーその線引きは、どこにあると思いますか? 岡田:『コンヴィヴィアリティのための道具』などの著作で知られるイヴァン・イリイチは、2つの分水嶺の存在を指摘しています。たとえば、私たちが足を挫いてしまったときなどは、松葉杖などを使ってなんとか歩こうとします。道具の力を借りることで身体の機能を補い、拡張させることができたわけです。これが第一の分水嶺です。 それが、だんだん車椅子になり、そのうちに支援者に手伝ってもらうようになる。押してもらえば便利に移動できるのですが、そこで自分は何もせずに運んでもらうだけになってしまう。この第二の分水嶺を越えたあたりから、他者に隷属してしまうことにもなるわけです。 そうした観点では、自分で松葉杖や車椅子を使ってでも自らの意思で移動できるくらいの方が自らの能力が十分に生かされ、生き生きとした幸せな状態といえるのではないでしょうか。このことは人とロボットとのコンヴィヴィアルな(自立共生的な)かかわりを議論するうえでも当てはまりそうに思っています。 弱いロボットもそうなのですが、お互いの主体性や創造性を奪わない程度にゆるく依存しあった関係をつくるのが重要なんです。ロボットが自分たちの手から離れて自立し始めると、私たちの主体性や創造性を奪ってしまうことにもなりかねません。 ーー手を貸し過ぎてしまってもよくないということですね。 岡田:そうですね。僕も研究室では学生さんに対して、研究テーマやアイデアを押し付け過ぎないようにしています。こちらが提示し過ぎてしまうと、学生さんの主体性や創造性を奪ってしまうわけです。そうした関係というのは、あまり楽しくないし、ユニークなアイデアを生み出しにくい雰囲気になってしまうようです。今後の人とロボットとの共生などを考えたときにも、これは大事なポイントになると思うんです。 ーー最後に、今後の開発についてお伺いさせてください。 岡田:いまは子どもたちの学びの場のデザインに、弱いロボットを応用できないか考えています。こちらの『Talking-Bones』は昔話を話してくれるのですが、ときどき大事な言葉を忘れてしまいます。その姿を見た子どもたちが目を輝かせながら手伝おうとするんです。自分よりも小さな子どもの世話をしながら、自らも学んでしまうというのは、Protégé Effect(プロテジェ効果)として知られているんですが、そんな性質を生かしたユニークな学びの場を生み出せたらと考えています。 また、宿題の穴埋めドリルに子どもたちと一緒に取り組む『PoKeBo Cube』なども開発しています。単に穴埋め問題を解くだけではなくて、ロボットたちと子どもとがお互いの弱いところを補いあい、強みを引き出しながら、穴埋め問題をみんなで考えていくようなイメージでしょうか。相手に何か教えてあげたり、助けてあげたりすることで、相手(ロボット)が喜んでくれる。自分も嬉しい。こんな風にしてコンヴィヴィアルな学びの場を生み出せないかというわけです。弱いロボットを通して、不完全であるからこそ周りとの関係性をうまく見出せることを知ってもらいったり、思い出してくれる機会が増えたらいいですね。
はるまきもえ