多くの人が意外と知らない、日本兵と一緒に硫黄島で闘った「朝鮮人軍属たち」
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
朝鮮人軍属たちを忘れてはいけない
硫黄島の戦いを主題にした書籍は概ね読んだ、という自負が僕にはある。 その中で朝鮮半島出身の民間人たち、いわゆる「朝鮮人軍属」が、硫黄島守備隊の兵士たちとともに戦ったことを伝えた本はどれだけあっただろう。知られざる歴史と言って良いと思う。硫黄島戦を讃美し、朝鮮人を好まない人たちにとっては「不都合な真実」なのかもしれない。 「朝鮮人の軍属たちが真っ先に投降して守備隊の地下壕の位置を米軍側に伝え、そのことによって大勢の守備隊兵士が犠牲になった、だから朝鮮人は怪しからん」といった情報をネットなどで目にする。その根拠となる一次資料を僕はいまだに見たことがない。 一方で、朝鮮人軍属たちの奮闘を伝える一次資料なら読んだことがある。 地上戦開始から12日後である1945年3月2日の硫黄島発の電報だ。この電報は、朝鮮人を含む「工員」が硫黄島には〈約一六〇〇名〉いて、〈続々ト切込ミ肉攻ニ参加〉していると報告。中でも、〈大多数半島人ヲ以テ編制シ〉た部隊は〈最モ勇敢〉だったという。〈半島人〉は、滑走路整備などの作業員として硫黄島に渡った朝鮮半島出身者たちのことだろう。 これほど硫黄島に関心のある僕もこれまで記事などで、硫黄島の朝鮮人について発信したことがない。僕も、批判されるべき側の一人なのだ。 上陸6日目のことだ。「あ! これはハングルじゃないですか」と声を上げたのは僕だった。ほぼ全身の遺骨が見つかった現場から、ヘルメットや薬の小瓶、ベルトのバックル、陶器の湯飲みが出てきた。 僕が注目したのは湯飲みだった。その湯飲みを僕が持って、何人かで見ていると、裏側に2文字が刻まれているのに気付いた。僕の目には、日本の文字に見えなかった。これがハングルだとしたら、近くで眠っていた遺骨は朝鮮人軍属の可能性があるのではないか。僕はそのうちの1文字が、数字の「10」か、ハングルの「으」に見えたのだ。 僕は2文字を記録して、その夜、韓国語を話せる友人にスマホで送って見てもらった。友人によると、もう1文字の方はハングルにしては画数が多いため、ハングルの可能性が低いということだった。 僕は落胆した。しかし、僕は前を向いた。今なお異郷に残された朝鮮人がいる事実を忘れるな、というメッセージをこの湯飲みは発してくれたのだ。硫黄島の朝鮮人軍属の歴史を伝える発信も重ねていこう。そんな決心を、僕は深めたのだった。
酒井 聡平(北海道新聞記者)