林家木久扇「55年間、全然ギャラが上がらない(笑)」今年3月に卒業した「笑点」の裏話を語る
TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、笑福亭鶴瓶さんと林家木久扇さん。ここでは、木久扇さんが今年3月に卒業したテレビ番組「笑点」の歴史を振り返りました。
◆55年出演した「笑点」の思い出
鶴瓶:笑点メンバーに入られて、辞めるまで何年間されていたんですか? 木久扇:55年やったんです。 鶴瓶:すごいなぁ。あんなヒットしている番組と向き合えるというのは、噺家でもわずかじゃないですか? 木久扇:まぁ選ばれた人っていうか……。 鶴瓶:そうですよ。テレビがどんどん変わっていくにも関わらず、「笑点」自身は全然変わらないですからね。 木久扇:そうですね。後ろの背景がふすまだけでしょ、あと座布団。だから、ものすごくお金がかかっていないんです。ドラマ1本を撮るのに1週間ぐらいかかるもんですけど、「笑点」は11時に後楽園ホールに入って、14時には(収録が)終わるんですよ。テレビ局にとってはおいしい番組ですよ。 鶴瓶:ですよね、そんなにお金もかからないし。 木久扇:それで、全然ギャラが上がらない。55年間同じ(笑)。 鶴瓶:(笑)。それは誰も言わないからじゃないですか? でもほんまにあの番組は、すごくいい意味の“マンネリ”ですよね。 木久扇:そうですね、見ている人が安心しちゃうんですよね。 鶴瓶:そうそう。また最近は(桂)宮治や(春風亭)一之輔、(立川)晴の輔と、新しいメンバーが入ってきて……(落語界に)あれだけ人数がおるなかで選ばれるのって、すごく大事なことですよね。 木久扇:そうですね。(回答者としては立川晴の輔さんが)初めて立川流のレギュラーメンバーなんですよね。とはいえ、つくったのが立川談志師匠だから、先祖返りみたいな感じといいますか。 鶴瓶:あの番組は、談志師匠が作りはったんですか!? 木久扇:談志さんが作ったんですけど、参議院議員選に出るために3年で降りたんですよ。それで(司会を)前田武彦さんが引き継いで、そのときに私もレギュラーになったんです。 (TOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」放送より)