ノーベル賞・野依博士「本気で怒っている」日本の教育に危機感
世界が多様性に向かう中、画一性に固執する日本
―― 「客観でなく主観で」は、選抜法の180度の転換ですね。 「主観は偏見が入るからいけない」「筆記試験は客観的で公平だからいい」と言う。では本当に子供、青年たちの機会均等は保障されているのか。受験技術の習得に多額の費用がかかり、親の経済力が機会獲得の支配因子とも言われる。ならば現行の選抜法は、むしろ「政策的偏見」ではないでしょうか。 特定の階層の、既得権の再確認であり、国家的には人的資源の大きな損失です。当人が預かり知らない外的要因で、18歳の時にその後の運命が決まっていいはずがない。将来の進路にもよるが、“規格品”が通用しない科学分野にとっては大問題です。ここでは要領の良さは通じません。守りの姿勢ではなく、全く無から有を生む、ひたむきな攻めの姿勢こそが求められるのです。 世界が多様性の尊重に向かう中で、日本はなぜ、画一性にこだわるのか。民族性が関係するのでしょうが、私は全く理解できずにいます。世界では人材獲得競争が激化する中、英米の学長らに実情を話し、意見を聞いてみてほしい。これで海外の優秀人材を確保できるのか。安易な形式的公平性を排し、責任を持って主観的判断をすべきです。もはや18歳人口はわずか118万人、1992年の205万人からほぼ半減した。私立大学の定員割れ状況をみても、国内の人材枯渇は明白です。さらに大学生については、国内外の「頭脳循環」(英語でいう「Brain circulation」)を欠くため、数量、質ともに危機的状況にある。このままでは座して死を待つのみです。 さらに言えば、大学院入試における、学部学生の囲い込みもひどい。大学院教授は、同一大学内の学部で教えてきた学生たちを審査する。他大学出身生が太刀打ちできるはずがない。利益相反の極致にあります。米国などでは同一大学生の内部進学を回避するところも多く、全く考えられない状況です。 学生たちは勇気を持って動いて、武者修行するべきですね。 ※本記事は教育新聞に掲載したインタビュー記事を再構成したものです。
《プロフィール》
■野依良治(のより・りょうじ) 1938年9月生まれ、京都大学卒業。名古屋大学特別教授、工学博士。00年に文化勲章を受け、01年に「不斉合成反応の研究」でノーベル化学賞を受賞 ■小木曽浩介(おぎそ・こうすけ) 1973年1月生まれ。早稲田大学卒業。岐阜新聞記者、ライブドアニュースキャスターなどを経て、教育新聞編集部長