シンガーソングライター片平里菜「最近は土地と結びついた歌に変化してます」
◇「大切な人が無事であってほしい」という祈り ――制作は年明けから取り掛かったとお伺いしていますが、他のアーティストの方々と、これだけの曲を一緒に仕上げていくのは、スケジュール的にかなり忙しそうなイメージです。 片平:一応、余裕をもって計画していたので。曲のタネになるレコーディング前の弾き語りのデモ曲は、以前から作りためていたものもあったし、めちゃくちゃ大変だったわけではなかったかも。でも、周りのスタッフさんが大変そうでした。ミュージシャン側は呑気というか(笑)。こういう創作って、時間の制限があったほうがいいこともあって。今回はまさにそうだったんじゃないかな。 ――アルバムリリース時のインスタライブで、今回のリード曲「ロックバンドがやってきた」は、BRAHMANっぽさを模索しながらブラッシュアップしたとのお話がありましたが、具体的にどのような“BRAHMAN”っぽさを取り入れたのでしょうか? 片平:パワーですかね。音楽的なこと言うと、この曲はコード進行やギターのリフは、そんなにBRAHMANっぽくはなくて。どっちかというとメジャーなコード進行で、ポップス寄りな爽やかな楽曲になっていると思います。 だから、メンバーの皆さんが、この楽曲に合うようなサウンドやリズム、ギターのリフとかに寄り添って、考えてくださった感じがあるんですよね。パワーはBRAHMANだけど、楽曲に寄り添ってくれる優しさもある、みたいな感じに思ってます。 ――デモ音源から変わったと思われる部分は、どんなところでしょうか? 片平:歌自体はそんなに変わってないですね。でも、サビからバンドインしてから展開される高揚感とアグレッシブさは、もう本当に大変貌を遂げたと思います。 ――1曲目の「予兆」も印象的ですよね。この曲は53ヶ所ツアーで必ず歌っていた曲でもあり、その理由を「今の自分と世界に必要なメッセージだと思う」とお話しされていましたが、さらに言語化してもらってもいいですか? 片平:「予兆」は命について歌っている曲なのですが、2つの捉え方があると感じています。私は、東日本大震災で津波を含めた災害の恐ろしさを知ったんです。そこから12年経った今も、全国各地で自然災害は起きています。まずは、そういった自然の猛威を感じる歌として。一方で、今この瞬間も遠くない国で戦争が起きていて、戦争の火の手から逃れる人たちを思い浮かべる人もいると思うんです。 だから、そういったことが差し迫っている今の時代で、本当に大切にしたいものに立ち帰ったとき、思い浮かぶものって、やっぱり目の前の命なんですよね。どんな場所や国でも、きっと全ての人に共通するのは「大切な人が無事であってほしい」という祈りだから。そこに共鳴するように、いつも歌ってます。 ◇片平里菜が考える「音楽と土地のつながり」 ――今回も感謝巡礼ツアーと同様に、どこの会場でも地元のミュージシャンを招待しているそうですね。先ほど地元・福島のお話しもありましたが、片平さんは“土地と音楽の結びつき”を大切にされているように感じました。 片平:今まではそれほどでもなかったんですけど、最近は強く実感しますね。私はただ単に、音楽だけをして生きていきたいっていうタイプじゃないので。自分が“生きている実感”そのものに興味があるんです。 生きることを突き詰めると、住んでいる環境があって、その場所で取れたものを食べて、自分の体になっていくことだと思うし。そう思ったときに、人と場所……もっと言うなら人と土って、離れてはいけないと思ったんです。こういうことを考え続けているから、最近は土地と結びついた歌やメッセージに変化しているのかもしれません。 ――アルバムのジャケットを撮影されていた場所は、福島県の浜辺とお聞きしていますが、やはりこれもご自身の故郷で、という意味なのでしょうか? 片平:ジャケットに関しては結果論でした(笑)。このアルバムのアートワークのテーマは自主制作。DIYとか、パンク的な要素をアートワークで示せたらと思ったんです。それで、私なりのコラージュ作品を作ろうと思いました。 自分が救われるためにやってきたこと、例えば絵を書くことや日記を書くこと、旅にまつわるものなどをコラージュ作品として並べようと思って。ジャケットの撮影場所については、東北に移動する……この日しか時間がないみたいな感じでした。「この場所だったら撮れる!」っていうのが、福島だったというか。 ――片平さん自身の“救い”や“魂の解放”を手伝ってくれたモノたちで構成したコラージュ作品を砂で埋める、という物語性にも感動しました。いずれ誰かに忘れられたり風化することもある、というのは全ての芸術の共通点でもあると感じたのですが、片平さんが「歌い続けたいと思う理由」を教えてください。 片平:それが今でもわかんないんです。来年、歌いたいと思ってるかな? でも少なからず、今は歌いたいと思っています。このツアーをしっかりやり遂げたいと思っているし、明日のライブも次のライブも歌おうと思ってるけど、先のことはいつもわからないです。でも、きっとその繰り返しなので、1つのプロジェクトが終わったり、ツアーが終わったときに“あ、また歌いたいな”と思ってるのかな。 このアルバムの3曲目「いつの日か」は、私の心に残っている景色を描いていて、2番の歌詞で福島県の農家さんのことを歌っているんです。福島県の農家さんって、原発の放射能の影響で、葛藤しながら農家を続けることを決めた方が多いんです。 その話を聞いて、農家の⽅が言っていた「来年百姓」って言葉を思い出しました。毎年ベストを尽くして「来年は辞めるぞ!」って思うんだけど、収穫後には次の年の種まきや肥料について考えちゃって、辞められないみたいな。それを聞いて、“私自身もそうだろうな”って思ったんですよ。 ――ツアーFINALでは、デビューのきっかけとなった日比谷野外音楽堂が会場に決定しています。これは最後には「原点(始まりの場所)に帰る」という思いがあっての計らいなのでしょうか? 片平:これも、結果的にそうなった感じなんです(笑)。でも確かに、日比谷野外音楽堂は12年前の「閃光ライオット2011」のステージとなった、私にとって思い入れのある場所です。そのときに見た景色とか、目の前のたくさんの人に初めて自分の歌が届いた感覚とか、それを追いかけるようにこれまで活動していた節はあります。 いつか自分の力で、また日比谷野外音楽堂のステージに立ちたい思いで活動していたんですけど……。でも正直、それはどのタイミングでも良かったんです。日比谷野外音楽堂って、抽選なので運の要素が大きいんですよ(笑)。今回、たまたま当たったのは、もはや奇跡。1年前に抽選をするんですけど、特に土日だと倍率が30~100倍だって、マネージャーさんに聞きました。 ――本当に縁ですね! 片平:決まったときはうれしかったです! でも、難しいのはわかっていて、期待していたわけではなかったから、驚きのほうが強かったかも(笑)。 ――最後に、10周年を迎えた今、次の10年後に向けての目標を教えてください。 片平:10年後って40代!? わかんないですね(笑)。どうなってるんだろう。もしかすると、結婚とか……もしてたりするのかな。今回のアルバムって、今の私の目線で書いた曲もあれば、子どもたちの目線にぐーっと下がったり、幼少期の記憶に遡って書いた曲とかも多くて。子どもの未来っていうのもテーマになってるんですよ。だから、少しよぎったというか。10年後がどんな形であっても、自由でありたいですね。 (取材:すなくじら)
NewsCrunch編集部